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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

747長岡曉生:2010/10/14(木) 10:34:14
趣味と道楽の狭間で (狭間シリーズ1):合評
この作品は狭間シリーズ中の最初に置かれているが、言葉の定義について取り上げたものと見た。

★言葉による定義
言葉は、人が見る具体的な物に名前を与える事に始まり、後にその対象は抽象的な事にまで及んだ。
しかし、作者が指摘しているように、大抵の言葉は多義的、すなわち複数の意味を含むものである。
定義とは、これら多義的な言葉を幾つか結合して、対象をより狭い範囲に限定することである。

★言葉による連想
一方連想は、有る事象を元に、これと部分的に意味を共有する別の事象を呼び起こすことである。
大方の連想は、多義的な言葉を核にして、外へ向かって広げて行くものだが
人の思考範囲を広げるこの作業は、自分ではそれとは気づかないままに、意味の拡張を伴っている。

★言語間における定義の差
この作品中、日本語の趣味と道楽という言葉が、英語という言語中で、如何なる意味の広がりを持つのか
という具体例が挙げられているが、その広がりを見ると
日本語では、意味の重なりが大きいように見える[趣味・道楽]という二つの言葉でさえ、その意味は
英語に置き換える事により[審美眼・不品行]という二つの肯定的・否定的な言葉にまで拡大してしまう
のである。

★翻訳に潜む危険
私自身は、翻訳は有ればそれなりに便利な物だとは思う。
しかし、誰が翻訳しようとも、その結果は当人の連想の篩を通過したものに過ぎない。
上記の例でも解るように、原文と翻訳文の間には、作者と翻訳者の好みや癖による乖離が必ず存在する。
つまり翻訳文の意味は、翻訳者次第で原文の意味と大きく乖離していく可能性に注意する必要が有る。

★定義と連想の何れが重要視されるか:分野の差
法律・自然科学論文等の記述は、その言語内で解釈が広がらないように厳しく定義される。
これに対し、詩歌・文学では読む人の性向によって解釈が広がるような連想表現が好んで取られる。
だからこそ、理系の翻訳は限られた術語を習得すれば比較的容易に出来るが
詩歌・文学の解釈は、専門家に取っても難しいのである。

★鵜呑みにしないで
ここまで書いては来たが、所詮はこの評も私の連想による、この作品の解釈に過ぎない。
作者も読者も、またそれぞれの考えをお持ちであろう。
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