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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

438万理久利:2010/07/28(水) 11:50:02
母へのレクイエム 感想を読んで
長岡さん 赤松さん

昨年の今頃、まだ母は生きていた。確かに生きていた。8月からはベッドサイドモニター
が常設された。鼓動、体温、呼吸状態、本人の上下する胸の動きと合わせて、機械が母の
生存を数値と記号と音で表していた。
衰弱が進んだときの避難場所として選んだ病院は私の住まいのすぐ近くにあった。毎日い
つでも歩いていくことができるから選んだ。在宅介護を夢見たが、母の「体」がいうこと
を効かなかった。だからときどき病院に避難。私にとっては実家に帰ることよりも心の負
担が軽くなったことは確かだ。母にだけ会えばいい。社交辞令もいらない。医師から必要
なことを聞き出し、要望する。
去年の今頃、手を振って病院を去るとき、いつも「ありがとう またあしたきてね」と私
の目をみつめてはっきりと母は言った。

<太宰さん>
太宰は持って生まれた才能が重すぎた。時代も重すぎた。素直に生きただけなのかとふと
思う。弱さもずるさも隠さない。太宰とメロスがどこか重なる。でも、作者と作品(メロ
ス)別なもの、メロスは作者を離れて走り続ける。
母も最後、私を離れてたった一人で走り続けていた。

<ご覧遊ばせ>
「美しい・美しさ」何を指しているかわからないと指摘を受けた。ここでの美しさは二重
の意味がある。外面的なものと内面的なもの。全て自分しだいなのだ、価値の問題なのだ。
外面の「美」を意識するのが一般だが、ある人から見れば醜くも見える。それでも「美」
を求めなくなった人間は美しくないのである。「美醜」は永遠のテーマ。
私はやはり美とは心のありかたや生き方にあると思う。ハンセン病で長く不当に隔離され
てきた人々。そのただれた唇、皮膚に目をつい背けるのが人間の素直な反応だ。でも言葉、
心が誰よりも清らかだった。「美しい」と思った。
死を目前にびっくりした表情だが静かだった母、やはり「美しい」と思った。「かなわな
い」と思った。霊安室の母はもう母ではなく、物体であった。他の家族を先に帰らせ、無
理やり母との時間を作ったのはなぜか。もはや母でないことを確認するためだったのだろ
う。物と化した母を焼き付けたかったことと、やはり記憶の中に「美しく」仕舞い込みた
かったのだ。
「Unconscious Hypocrite」大嫌いな言葉だ。とりわけ女のそれを軽蔑する。これが生き
る知恵なのであるとすれば、たった一人格好わるく生きていくしかない。今もそう思い続
けている。母は少しだけ「Unconscious Hypocrite」、まあそんなところでしょう。それ
がひとつの魅力であったことも確か。娘の私は実に格好悪い。




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