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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3872赤松次郎:2015/07/03(金) 15:33:10
山荘便り−20150703
 窓の外は雨、このところ一週間も冨士山が姿をみせない。仕事が多忙を極めていた
ので書くことも疎かになっていたが、久しぶりに時間ができたことが原因なのか、た
またま購読している『科学』の広告のなかに三冊の本が目にとまったためか、やおら
「山荘便り」を書く気分になった。
 『エゴ・トンネル』トーマス。メッツインガー著
??????体外離脱経験や幻肢や明晰夢といった現象は意識について何を教えてくれるの
   か。人間のイメージに自然主義的転回が生じたとき、どんな<意識倫理学>が必
   要になるか。
 『意識をめぐる冒険』クリストフ・コッホ著
??????有機物の塊にすぎない脳の何が「赤い」「痛い」といった感覚を生むのか。
 『心をつくる』クリス・フリス
   脳が知っていることを(私)はどこまで知っているのか。

 私は小さいころ体力がなかったために疲れると割れるような頭の痛み、波状的にし
くしく襲ってくる腹の痛み、うずくような耳の痛みなどの悩まされてきた。その時ど
うすればその痛みが和らぐか、どこでその痛みを感じるか、痛みのメカニズムは一体
何かについてよく考えていた。この痛みは他のことに心を奪われれば感じなくてすむ
のか、痛みを気のせいという架空の心理上のものなのか。今はそんな痛みはほとんど
感じないですむ体力になって、昔のことを考えると実にありがたいと思っている。

 これ等の本の内容のキャッチコピーを見つけたとき、まさしく国木 光さんの43号
「事件」を私に思い出させてくれた。
 さて「事件」に描かれている物語は、過酷な「肉体の痛み」や「精神的な苦悩」に
ついて−−−私はこんな酷い状態をいままで経験した事のないゆえに表現できないの
だが−−−これほど簡潔にリアルに記述されているのを読むと見事という他はない。
しかも「私」と「僕」という二重の人格の視線で、ある種の冷静さを持ちつずけなが
ら物語を完成させる能力は、作者そのものが緻密な観察と冷静な精神、思考方法を持
ち合わせているからであろう。「僕」はともかく、苦しめられている「私」もまた見
方に依れば実に冷静に自分の情況を把握しているように見える。そんな情況に陥った
ことを決して言い訳や他人のせいにしていないところが潔い人物として描かれてい
て、好感がもてる。作者の外見をみればこのような経験があったなどとは決して思え
ないのである。しかしたとえ創作にしても、その情況描写や筋書きに全くの嘘くささ
は感じられない。逆にその緊迫性に圧倒されるのである。

 なかには友人の生き方や新聞種を下敷きにして、「どうだうまく書いただろう」
「これは紛れもない真実だといって開き直り」悦に入って書いているいる作品を多く
見かけられる。おまけにその物語の情報源という楽屋裏まで作者自身が披露すると
いった感覚には到底ついて行けないし、どんでん返しなどの技に命を懸けているよう
な作品もまた読者に阿るのが見え見えで我慢がならないのである。さてますます私が
人の行為の虚勢や悪意やごまかしなどの醜悪な匂いに敏感になったのは歳のせいであ
ろうか。いずれにしろ私にとって知性や悟性についての探求は永遠のテーマであり、
早速『エゴ・トンネル』『意識をめぐる冒険』『心をつくる』の三冊を購入したいと
思っているのである。

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