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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3837万理久利:2015/06/07(日) 19:08:18
後藤孝氏と貧乏絵描氏
 何十年も前に香港の事務所で出会った後藤氏のことを思い出したのは、趣味水彩(旧称
街角スケッチ)を見るようになってからでした。後からは油絵中心になりましたが、当初
私が見た後藤氏の作品はみな水彩画で、絵の対象も雰囲気も似ていたことと、趣味水彩に
あるコメントから想像する貧乏絵描氏と後藤氏の人柄もどこか似ていたと感じたからでし
ょう。ここだと決めたら、必要最小限の荷物をまとめてでかけるところなどもどこか共通
します。後藤氏も中国の景色が大好きで、好奇心が強くて、彼は何度も中国に足を運びこ
の旅行記にあるような体験を積んだようです。
 「河岸に垂れる柳、それを映す水面」私もこの景色が好きです。
電車に乗って通学、通勤した頃毎日見ていた玉川の鉄橋から見える景色がそうでした。蘇
州や西湖岸辺の風景とまではいきませんが、岸辺にひっそりと立ち続ける柳の景色は人の
心をほっとさせるものがありました。残念ながら柳絮が舞う景色は、玉川でも中国でも見
る機会はありませんでした。日本でいうところの桜吹雪のようなもの?、もっと抑えた景
色なのでしょうね…。

 後藤氏が出掛けた時代は日中国交回復後十数年といったところでしょうか。こんな場所
に、元通信兵としてこの地を踏んだ日本人男性がいきなりたった一人で訪れる、今思うと
「えーっ」の世界ですが、かえってこの頃の方が、中国の田舎の人々はたとえ敵国だった
「人」と言っても、素朴な人間対人間の接触ができたような気もします。自分の親、子が
日本兵に殺された中国人でも、自分と同じように日本人の中にも家族を失った人がいると
いうことを自然にどこかで理解していたようにも思えます。徹底した反日教育を幼い頃か
ら受けてきた人々が育った現在では、やはり当時とは違った空気が流れているはずです。
すっかり思い込んでいる人もいれば、おかしいと思っても親日態度をとると仲間はずれに
される、こんな構造もできあがっているのでしょう。
 私の父も軍人として中国に行っていた時期があります。分厚い黒いアルバムの中に納め
られたセピア色になった中国各地の風景と、白のインクで書いた自分のメモをよく眺めて
いました。チャンスとお金と健康があたら、父もきっとスタスタと小さな荷物だけもって
中国思い出めぐり、慰霊の旅をしていたに違い在りません。






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