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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3783万理久利:2015/05/31(日) 01:29:19
中国縦断4300粁単独自由旅行記13(T.Goto著)

 第14日目  ―??南陽 ―




9月23日(晴)気温28℃  ― 南陽 →鄭州―

        
????????    南陽を去る朝 ホテル前で??(by Goto)


 朝6:00起床。洗面、歯磨き。7:00食堂へ。朝食はトマト、青豆、赤カブ、落花生と唐辛
子と鶏肉の炒め物、卵焼きの様な物、粥、万頭2。万頭1個を持ち帰る。鞄を整理し詰め
替え、住所録をスケッチブックに貼り付けた後、電話でフロントに精算を依頼。 7:30頃
昨日お世話になった柳さんがお見えになった。昨日の約束通り日本円4千円と中国元百元
と交換。もう一度フロントに精算の催促。やっと計算書が来た。一泊百元とのことで二日
分計二百元支払う。横にいた柳さんが汽車駅(バス停)まで自転車で同行してくれると云
う。息子さんが仕事で今出られないので柳さんがホテルから駅までついてきてくれること
になったようだ。お世話になったホテルの人達にお別れの挨拶をし、柳さんと一緒に自転
車で出発した。

 南陽火車站を過ぎ、約1?程進んで左側の直快汽車発車站に到着。大勢の客が待合室に
居た。やがて女性車掌が現れた。そこで柳さんの息子さんが一足早く駅に来て、汽車の切
符まで買ってくれていたことを知る。席は窓のすぐ脇の座席を選んでくれていた。私の鞄
を持ち「運転手や車掌には、道中宜しくと頼んでありあます。何かあったら彼等に云って
ください」と云った。そして女車掌を紹介した。鄭州のホテルまで送るようにも伝えてあ
るという。いよいよバスの出発時間だ。柳親子は私の座席の窓の外で最後まで手を振って
くれた。

 バスは一路鄭州に向かって出発。はじめ南陽市街地を大回りで半周し、西橋を渡り白河
を後に進む。初めに泊めて貰ったおばさんの宿を通過、一路南陽路を北上し博望方向に右
折し方城へ。安保、葉県、蜿蜓、と続くこの国道はポプラ並木の立派な道路で、今頃複線
工事の真っ最中である。所によっては、沢山の車を止めて平気で工事をしているところな
んぞは中国ならではである。走行が遅れた分、車は追い越しごっこをする。この辺りは河
南随一の農業地帯である。幹線道路に沢山の収穫穀物が散置してある。この穀物の上を次
々と走る車がタイヤで轢いていく。そして夕方太陽が西に落ちる頃、大きな熊手でかき集
め、馬車や牛車に積み込み一度自分のところに持ち帰るのだ。街道筋の農家は近くの納屋
や自宅前の路上に山積みするようである。1週間程ほど同じ作業を繰り返した後、風のあ
る日に大きな篩で実と小枝を分けたり、トウモロコシの様なものは枯れ木と芯を抜いて実
だけにして袋詰めする様である。
 金色の河南の田園は地平線の遙か彼方まで秋色を帯び始めた。西に遠く横たわる臥牛連
山の山並みは遠く彼方に消えていく。遠方の樹木に囲まれた部落につながる一本の小径は
脇の用水路と並行し、ひたすらその部落へと続く。そして時には交差する道をつなぐ様に
小さな石橋が一つ二つと行儀良く並んで過ぎていく。希望を架ける未来、今移りゆく景色
の現在と、去り行く過去。短い時間に一つの歴史が作られて行く。過ぎし42年前と今見る
この景色、戦勝国となった彼等の思いが、いったい今何を本質的に求めているのか、そん
な事や今まで出会った中国人民の人となりや人情、風土と暮らしぶりを考える。心地良い
バスの振動と旅の緊張で時折襲ってくる睡魔。
 ふと気が付くと、葉県から襄城(ジョウジョウ)県あたりに来たらしい。そしてバスは家々の
屋根が接近して立ち並ぶ細い街道に入った。バスが進めなくなる程の混雑である。ここで
バスは一旦休憩し扉を開く。乗客が次々と下車。細長い町並みは身動きできなく乗客は一
時休憩となる。この町並みは許昌市襄城県襄城とある。私も下車し路道のスケッチと写真
を撮る。パウーパ、パ、お客さん乗車だよと云うクラクションが鳴った。客全員が乗車し
出発。
再び汽車は快速で追い抜き追い越しである。もう陽も西に大分傾いた。撮影の日照限界で
ある。バスの脇を驢馬の一群が夕方の混雑時に自動車と一体となって走って行く。スナッ
プを撮り許昌から新郷に入る。西平を抜け鄭州市内に入る隴海線(ロウカイセン)の交叉橋をくぐ
り、二七街を左折して火車站広場に到着した。
 ここ鄭州終点で全員下車。小生も一緒に降りようとしたら車掌と運転手が「もう少々満
々デー。そう云って私を乗せたままバスを走らせ、さらに」五百米西方の二七賓館前まで
運んでくれた。公共のバスが一人の日本人を乗せてホテル前まで連れてきてくれたのであ
る。運転手と車掌に厚く御礼を述べ握手をし別れた。下車してバスを見送ると二人手を振
ってくれた。

 正面玄関から入りF2フロントで宿泊手続きをする。もう顔を忘れたのか、先般の領収書
を提示する。OK、今度は二階である。75元、ツインである。
早速入室し、荷物を置いて食堂に入る。先般来の顔ぶれはもう朋友である。鶏の骨付き野
菜炒め、万頭、御飯を食べ、お茶を部屋で飲んでいるとノックの音がする。王衛華さんが
友人を一人連れてきた。
「お元気で再来。私とてもうれしい。日語研究の友人紹介する」と云って二人は椅子に腰
掛けた。スケッチの旅の話や南陽の風景等を報告がてら聞かせる。
「私とてもいそがしい。貴方にお力になれなくてとても残念」と云って帰っていった。多
分通訳が十分果たせなくて、という意味であろう。私は彼女に「住所。ファッチャー ネ
ーム アンド アドレス?」と云って国際飯店の便箋を出した。王さんは記入して私によ
こした。
「私、夫と共に仕事しています」
「そうですか。御主人は先生ですか?―― そうですか、日本語アナウンサーをしている
んですか。…中日友好の為頑張ってくださいとお伝えください」
こんな会話を約1時間程して彼女達は去った。
内からロックして、洗濯しながら入浴し旅行中の砂塵を洗い流した。ここは蚊取り線香は
不要である。この後夜遅くまでスケッチや日記の整理、鞄の整理をし歯を磨きやすむ。外
では雨が降っていた。


  つづく
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         南陽→鄭州バス路線(by Goto>






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