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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3742万理久利:2015/04/12(日) 15:09:57
中国縦断4300粁単独自由旅行記10(T.Goto著)


   いよいよ著者にとって慰霊の地南陽にやってきました。テレビで流行の
   突撃宿泊を、やらせではなく、打合せも無く、南陽片田舎の民家で実行
   します。住民は日本からの客を興味津々かつ暖かく迎え入れてくれたよ
   うです。戦争を忘れて人と人とを繋げる「一宿一飯の恩義」の物語。


 第11日目  鄭州→ 南陽??

9月20日(晴)気温29℃

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 朝7:00起床。洗面、歯磨き。室内に干した洗濯物、下着が今少し乾ききっていない。
7:30の朝食前にこの二七賓館の玄関前のスケッチをする。食堂に行く。炊事の係りの若者
とはもう顔見知りとなった。「これとそれ」と指さ差しするだけで、直ぐに必要な分の料
理を取ってくれる。その場で少額の紙幣を手づかみのまま差し出すと、ちゃんと選んで手
のひらから取り、釣り銭の紙幣をのせてくれる。要するに、信用して任せられる事に意義
を感じる様に思った。つまりそれだけ信じられない者が多いのであろう。朝食時に大きな
万頭を二つ買って一つだけ食べてあとの一つを持参し綺麗なポリ袋に入れてバッグに詰め
た。荷物を整理し、持ち物袋に必要なものを入れ、世話になった係りの人とさようなら。
又帰路に宿泊を約束してホテルを出発する。

 南陽行直快汽車站(中国の汽車はバスを示す)に向かう。そしてあの小さな窓口から南
陽までの乗車券を求めた。27元支払い書いてくれた出発時間を見ると、12:06発である。
まだ時間があるので、あちこち市街地を見て歩く。ニコニコしたおばあさんが鉄道の本を
持って買ってくれと云っている。一冊もらう。6元もした。香港で中国交通時間票という
本を読んだとき、このおばあさんの事が書いてあった。おばあさんに其の話をすると、白
い髪のニコニコ顔。「元気で暮らしなさいよ」と云って別れた。11:30頃站待合所で並ん
で待つ。いよいよ乗車。窓脇の一つ内側の席である。
 定刻にバスは出発。隴海線(ロウカイセン)の架橋をくぐり西南に向かう。南陽路は国道だ。
新?を過ぎ許昌、ここから一部省道そして県道と南下する。先ず襄城(ジョウジョウ)、ここは
かつて我々の河南作戦の第一橋頭堡(キョウトウホ)の最前線であった。…バスは襄城市街を通り、
叶?(葉県)に入る。快速自動車は秋の収穫時期の幹線道路を調子良く突っ走る。そして
同じ様な快速車を追い抜く為猛烈な追い越しごっこがはじまる。そしてやたらピャーピャ
ーピピピャーと甲高い音色を発しながら追いつき追い越すのである。私からすれば警笛の
音はかなり彼等の言葉のアクセントに似ている。もう私には目が風景に取りつき砂塵など
も気にならない。やがて又村落らしい所を通過の際発見した看板からここは「保安」「保
安鎮」、次は「コーデンワン」、弯?いったい何を意味しているのかさっぱりかわからな
い。40分程走った地点で大きな河が見えてきた。これが白河である。もう日は西に落ちか
けている。橋を渡り日が落ちた頃、南陽市内に入って最初の地点で終点となり、ここで車
を降りた。あたりは真っ暗である。近くの灯を求めて行きここで寝るまねをして、寝る家
を求めているというパントマイムを演じると、直ぐ前の赤煉瓦の建物を教えてくれた。

 脇道から中庭に廻り込んで灯がもれている扉をノックした。何回かノックした後、扉を
開いて室内に入る。筆談で一泊したいと、「日本国東京から来た者、名前××」と書いた
紙とパスポートを見せた。了解してくれた。湯浴無し、トイレ無しと云う。お湯を洗面器
に一杯もらいたいと云うと了解してくれ、この建物の三階の部屋に案内してくれた。そし
て驚く程昔のアンペラの寝台、しかも四方に竹棒を立て、天蓋の様に白布地の蚊帳が吊っ
てある。アンペラになるとはと、この若いおばさんに云うと、少しして敷き布団と掛け布
団を持って来てくれ、また大きな薬缶と洗面器にお水をたっぷり持って来てくれた。12〜
13才の男の子もマホービンにお湯を持って来てくれた。
 夕食は用意できないと云うので、やむなく硬くなったビスケットを食べて済ませた。私
が画家で、写生旅行に来たと云って泊めてもらったので、スケッチブックを開いて見せる。
この若い太ったおばさんは隣室の男性にさかんに説明している。この男性は気工广に勤務
の職員とか。そして同じ部屋から女性がやってくる。奥さんかもしれぬ。筆談で「細君か」
と聞くと「姐姐」と云う。姉さんであった。時ならぬ珍客に騒然となってきた。宿の太っ
ちょおばさんの甲高い珍客到来の宣伝で、子供を連れて部屋に入って来る。隣室の青年、
その姉さんも。其の内おばさんは大きな声を一段と大きく張り上げて皆を部屋から追い出
した。そして私に何か早口で云うので聞き返すと、私のボールペンをサット手に取り近く
の紙袋を手に取り書いた。「あなたは長旅をしているのだから、早く休め」と云う意味の
中国語を書いた。「ミンバイ、ミンバイ」私は有難うと云ってこのおばさんに握手を差し
出す。おばさんは顔を赤くして答えて帰った。

 ここは鄭州から約4百?程南である。まだまだ夏である。鞄から蚊取り線香と18#針金を
出して、寝台と寝台の四隅の竹棒を針金でくくり、洗濯物をつり下げる準備をした。タオ
ルで体の汗と砂塵を洗い落としサッパリしてからアロハ(ナイロン製)と肌着を日本から
持参した粉石鹸を少量投入して洗えばたちまち綺麗になる。やれやれ一息ついた、と云う
間もなく停電。真っ暗闇。しばらくしてもまだ闇。やむなく階段を降り、おばさんを訪ね
たが室内は空。又自分の部屋に戻ると、今度は風で扉が内側から閉まった時に錠が自然に
かかったのか、中に入れない。部屋から締め出しをくってしまった。下におりて外の暗闇
で呆然としているとローソクの灯が風に揺れながら階段を昇っていくのが見えた。その後
を追いかけてくと、どうやら私のところまで灯を持っていくところだったようだ。そして
おばさんは錠を開いてくれた。風の入る窓を閉めれば大丈夫だと云う。其の通りである。
そうして息子さんが熱いお湯をまた持って来てくれた。お茶を入れゆっくりやすむ。

つづく

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