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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3720同人α総務:2015/04/05(日) 18:25:03
中国縦断4300粁単独自由旅行記9(T.Goto著)

 第10日目 ??鄭州→ 開封


9月19日(早朝雨後曇り後晴)気温朝20℃昼30℃

         

 早朝の雨はやみ、朝霧が立ち込めていた3階のこの窓からは鄭州站方向から隴海線側ま
で展望が利く。7:00頃浴室内の洗面所で洗面、歯磨き、髭剃り。荷物を整理したり昨夜の
洗濯物を取り込む。ドアのノックで扉を開く。係りの女性が入って来て、お湯のマホービ
ンに熱湯を入れて行く。なぜか少し水の入ったバケツが置いてあったが、係員はそこにお
茶や冷えた湯を捨て、持ち出し別のバケツと取り替えて行く。彼女達に朝食の事を聞くと、
階下だと云う。一階の売店で地図を買うついでに食堂の場所を聞いた。
 入り口にはヒラヒラと赤い紐テープが沢山吊り下がっている。この暖簾をくぐり中に入
ると、講堂のような広大な食堂。食券売り場がありそこに一人の女が座して小箱を置き群
がる客に1枚1枚料金と交換している。客は、この食券を持ってテーブル上に並べてある
料理皿と交換している。私は料理の名称がわからないので、現物の前でこれとこれ、と指
さし そしてそこで現金を手渡す。これでもOKなのだ。多分外国人だからなのかも知れ
ない。何とこの大きな食堂の白い壁面には大きく、本日の料理長とそれぞれの料理人の名
前と階級のようなものが書かれている。そして現金を扱う者も偉い人の様である。客の態
度が悪いと食券を不買にする。省直属の役名も書いてある。
 昨夜このホテルに到着したとき、英語で私から質問された受付係の女達の一人といっし
ょに「助人を連れてきた」と云って部屋の係りの女性が来た。大きなキンキンした声で
「私、王衛華と云います。私日語研修学びました。日本語でお聞かせしてよいです」
「ああそう。それは助かった。まあ皆さんが皆さん達の中国語、漢字で紙に書いてくれれ
ば、それなりに判断出来るのであまり困りませんが、貴方達の方が困るのでしょう」。
私が日本語で極普通に云ったことが彼女にはまったくわからないのであった。大きな声が
一際小さくなり笑い声で繕うのが精一杯の様である。
こちらに来て必ず聞かれるのは、いずこから来たのかそして何の為に、何をしに、いつ帰
るかだ。本来なら旅行客に聞くことは失礼に当たる質問である。しかしこれが現実の中国
である。その意味を彼女達に書いて説明してやる。彼女達は一つ一つを聞くと納得する。
「若しあんたが旅でそう云われたらどう思うか?」皆理解する。続けて「私は若い青年の
頃、戦争で召集されて、この地にきた。これから行く先は皆かつての戦場である」。
すると王さん「私達忘れません。…でも今は友好中日」と云う。
「その通り。私だって忘れてはいけない所、国だ。いや忘れられないからこそ遠い日本か
ら自費で訪問してきたのだ。悪い事は何時になっても悪いので中国に来たことそのものは
悪いことに違いない。しかしながら私達の大部分は命令によって動員された者で、好きで
やって来た者ではない事と、我々の幹部は皆紳士で、中国の鉄道、通信、道路等の建設も
皆当時の兵士達が基礎を残して行った。終戦後も私達は一番先に帰国したかった。だが私
達は当時の政府から依頼されて丸一年残り通信網を中国政府に渡してから帰国したのであ
る。こうした歴史的な事実を貴方達は正しく知っておかねばならない」…
すると彼女達は「貴方は兵隊デス。でも良い人…日本人兵隊少し悪い人。でも貴方は良い
人」。
こうして何と部屋中に10人ほど女達が集まってしまったのである。
明日まで聯隊本部跡と開封の兵舎を探しにいくことにしてある。彼女達が職場に戻った
後、小生は支度をし、お昼を食堂で済ませ、水筒を持って写生バッグのみ持って市街に出
た。

 駅前広場を直進し8km程歩く。旧建物はほとんど壊され、写生の対象にはならない。
わずかに裏通りにかかる街道脇道を入ると古い赤煉瓦の三階建ての建物、曲がった所には
分厚い土塀、見たことのある風景を何度も往復する内に、不信に思われ二人の男に検問さ
れた。公安官の様な濃緑の制服に赤の襟章である。旧日本軍人、昔の司令部の跡を探しな
がらここに着たことを筆談で答えると、二人は「少し休んで行ってくれ」と云う。 角の
建物の二階で、私のパスポートを見て鄭重に握手を求めてきた。有り難くお茶を頂き地図
を見せてもらい説明を聞いた。二七賓館にも連絡を入れたようである。彼の説明では旧建
物はほとんど三年以内に取り壊し高層化するとのこと。区画整理もしているので、旧日本
軍当時の図面がないとわからないと云う。二人の内の一人の夏さんの話だと、今は大きい
建物を建築中とのこと。

 再び駅前に来た。省営汽車は1時間半に一本、やむなく個人車で鄭州と開封を往復する
しかないと云う。車がさかんに客呼びをしている。これに乗る往復運賃は60元、了解。別
の二人も同乗させて直ちに突っ走った。立派な幹線道路が出来て、両脇にはポプラ並木が
立ち並び、昔とはまったく変わった風景だ。農村は落花生、トウモロコシ、大豆、といっ
た実りの秋に入ったところで、金色の農地には家族連れの作業風景。道路に敷き詰めたト
ウモロコシの実を車という車が轢いて通る。
 約1時間程で開封に到着。約束した通り別の
客といっしょに下車したあと、南側2km近くを旧兵舎を探して歩いたが、まったくわから
ない。時間が過ぎるのみ。それでも30分は探した。帰路を決して開封を後にしたが、城内
の様子も、皆鄭州に右へならいという状況である。窓を開けて飛ばす車内は砂塵でシート
も砂でパカパカである。頭から浴びた砂でのどは痛み、痰が出て仕方ない。西に落ちる夕
陽は農家のある丘陵を茜色に染めて夕食の煙の様なもやが棚引いている。中国製のトラッ
クはクッションが悪く尻が痛い。運転している男も痰つばばかり窓から吐き飛ばす。
鄭州站前に到着。先に代金を払ってあるので、そのまま下車。途中で考えたが、明日は南
陽に行こうと決心した。省営汽車站にて調べた所、かつての戦場を走る長距離汽車(バス)
を発見、ここで参考に金額を尋ねる。安い。写眞を撮っておく。

 二七賓館に帰宿する。夕食はインゲン豆、骨付き鶏肉、炒、万頭、粥。部屋にて今日駅
近くの輸出品見本市で買ったビール1缶とヨーグルト1本を飲む。砂塵を流しに入浴。洗
濯して全部干す。歯を磨き、スケッチ作品に彩色。ここの女性に世話をかけたので2枚ほ
ど描いた裏に御礼の言葉を書いた。明日の予定を考えてやすむ。ここに来てから一度も静
かな日が無い。近くに遠距離バスのターミナルがあるためか、警笛の音が深夜でも響いて
くる。

つづく

黄河とともに栄え、洪水と兵火に翻弄された中国で最も古い都市「開封」

 






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