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3666万理久利:2015/03/16(月) 08:04:48
中国縦断4300粁単独自由旅行記6(T.Goto著)

 第6日・7日目  香港→広州  



9月15日(晴)気温27℃ 第6日目 ― 香港 ―

九広線の調査をベッドの上でする。鉄道時刻表等。8:30起床。洗面、歯磨き。女性達は
午前便で北京へ出発した。朝食は粥と味噌汁、野菜と肉炒め。食後、九広線、九龍站(駅)
まで徒歩行軍。途中国際電報局に寄る。チャタムロード経由でグランドホテルを過ぎ、キ
ャメロンロードを左折し帰宿。いよいよ明日出発なので、久保木君と北京料理を食べに行
く。夕刻久保木君が中国入国ビザ、パスポート、そして帰路航空券を旅行社に取りに行っ
てくれた。帰路の航空チケットは、タイ航空で、香港←→成田往復である。それなのに、
東京→香港片道チケットより安いのである。誠に不思議である。彼もストレートで種々利
益を考えずに手早く仕事を済ませてくれるので、本当に御礼心で北京料理代金は私が支払
わせてもらった。
夕食後ピールを飲みながら「後藤さん、いよいよ明日からしばしお別れですね……。何だ
か淋しくなりますよ。多分後藤さんなら大丈夫ですよ。むしろ、中国は後藤さんの方が詳
しいし、年配者は何と云っても強身ですよ。でも気を付けてくださいね、気を許さず。…
そして云いたいことを云って下さいよ。彼らもきっと理解しますよ…」。シャワーを浴び
て髪に油をつけ、やすむ。




9月16日(晴)気温28℃ 第7日目 ― 香港(英国)→ 広州(中国) ―

        

AM7:00起床。昨夜中に必要最小限の荷物に直して1個の鞄に詰め替え、透明袋に地図、
スケッチブック、カメラ1台、色鉛筆等を入れ、朝食。パンと牛乳で軽く済ませ、使わな
くなった別の鞄を久保木さんに預かってもらい出発した。水筒を持ち徒歩で九龍站(駅)
へ。一度来て下見をしているので、スムーズに到着することができた。途中国際電報局に
寄って東京宛の航空便を出す。九龍站窓口にて羅湖(ローウー)まで乗車券を買って改札を通
ったが、何番ホームの電車かわからない。快直(普通急行)に乗ればいずれにしろ国境に
近づくであろうと気軽に乗った。綺麗な電車である。赤い座席の空席に座して、青年会社
員風の男性と向き合って座った。彼が英語で話しかけてきたが、早口で良く聞き取れない。
其の内、袋の中身を指さして中国語混じりで…「オーイエス、ジャパニーズ ペインティ
ング。どちらへ」と聞かれ、「私は広州へ行きます」と答える。彼は切符を見せろと云う。
何やら考え込んでいる様子。さかんに時計を気にしている。其の内次の停車駅で一緒に降
りようと云い出した。素直に従って私も下車。降りると彼はこの駅の駅長をつかまえ何や
ら話していた。「15分後の列車に乗って下さい」と云って手を振りながら次の電車に乗り
手を振って去った。
 駅長に私の名刺を渡し、彼のサインをしてもらう。
15分がたちいよいよ列車がホームに到着。ここでこの人の良い駅長と別れた。遠い異国の
知らない駅の駅長、私にとってはさほど心配していない乗り違いのハプニング。こんな事
は東京にいても良くあることで、ただ目的地より手前の駅にて終点になるだけの話である
が、それに気付いて、目的地の駅まで運んでくれる列車を途中下車までして駅長に頼んで
次の電車で去っていった青年、やはり、国際人的親切心が身に着いていると云えよう。
 乗り換えた列車は超満員であったが、終着駅羅湖では三分の一程度。それでも、これだ
けの人々が中国側へ渡るのである。前2回の訪中は、香港空港から直接桂林や北京に入っ
たので入国書類さえ見せれば簡単なものであった。今回は個人として入るのである。長い
行列の果て、香港出国申請書を書き込み、パスポートと一緒に提出。荷物検査OK、長い
廊下を通り中国入国申請書に書き込む。わからない箇所のところで考えあぐねていると、
50代程の女性官吏が「ここは“日本”だけでミンバイ(明白)」。云われたとおり「日本」
と書き、自筆署名しパスポートと共に出す。…深緑色の制服に赤い襟章。中国官憲の最た
る姿である。無表情のまま書類を返してくれた。ここでは焦茶の表紙のパスポート所持者
と顔写眞の貼った定期券の様なものを持った中国人は、別のゲートからとなっている。こ
の中国人連中は山ほどの荷物を持って押し合いへし合いして行列が流れて行く。ここでも
赤地に金の紋章は誠に鄭重である。私は無検査で通過。

 ここは中国特別区深圳である。出た所で先ず日本円一万を換金した。香港ではドル、今
度は元にかえた。そして、「広州行き乗り場」と文字で書くと彼らは直ぐ反応することも
わかった。彼らの文章から地廊を通り接客所へと読み取れた。つまり地下道の下の待合所
で待期せよと云うのである。気が付くと大部分の中国客は切符を持っている。私は無い。
そこで、この広場で広州までの普通席を買うことになった。「深圳→広州」とある窓口で
行列。廻りは用のない人間達の山でごったがえしている。窓口では直径15?程の穴から
手首だけ出して金と切符のやりとりをしている。私は紙切れに[深圳→広州、乗車券、金
票?]と書いて穴から渡すと、どんなに混雑してようが、まったく「メーカンシー」(丁寧)
に金額を書いてまたその穴から出してくれる。其れを見て10元紙幣を差し込み「イーガ」
(1枚)と云うとお釣りと1枚の切符を出してくれるのである。今までの旅では考えられな
かった眞の中国人民の生活に触れることが出来たし、又彼等も、彼等の生活の中に海外か
ら直接個人が来ているのだという満足感の様なものがチラリと見えてくる。切符を求めた
後直ちに電車に乗れるのかなと思って待合所に行くと、ザット数千人の人の山。いや海の
様にも感じた。たいていならこれを見ただけで引き返してしまうであろう。この沢山の人
の海から先ず駅務員を見付け出すことが先決だ。職員の大部分が女性。ホーム入り口近く
は警備兵、保安警察の男と駅務員。切符を見せて出発時刻を聞くと、一番奥の方を指差し
「ミンバイ」と云う。とんでもない所に列車番号と時刻が書いてある。先ず表示が悪い。
出発時刻を見るとあと50分もある。一度外に出て駅前道路を歩いた。写眞を撮る。
定刻、普通席に座して一路広州に向かう。外の景色はガラリと変わり、殺伐たる田園風景
が展開する。

 夕刻6:00広州に到着した。その武骨なプラットホームは大陸の玄関口に相応しい。茜
色に染まった夕陽が、刻一刻と明るさを減らしていく。予備知識の通り、鉄の檻から流れ
出る砂利の様に沢山の人間が、埋めつくされた黒山の人垣の中に戻されていく。自分も其
の中の1人である。これでは少々の事があっても何も見えてこないのが常識と云えよう。
取り敢えず大きな群れを避けて右側に一気に飛び出した。沢山の手を振り抜いて廻り込む
と、幅広い歩道はしゃがみ込む人や立ったままの男でいっぱいだ。私は鞄を肩にして車道
というか、大型車やバスの走り込む空間を風の様な早さで駅舎の対面方向に直進した。大
きな字で書かれている文字を読みながら推定して、「飯店」(ホテル)と記された比較的
大きい建物を見定めて正面玄関から入る。
 夕方で受付はごった返している。連中の混雑を避け、脇のカウンターで少し様子を見て
いると受付係の女性がこちらを見たので手招きした。そして一泊したいと話すと用紙を出
してきた。それに書き込み提出するとパスポートを見せてくれと云う。差し出すと90元の
部屋しかないと云う。OKと云うと直ちに案内してくれた。尚、先のことを考えここでさ
らに一万円を元と交換する。
 立派なホテルだ。大きなベッド二つと浴槽、カラーTV付。F1(香港と異なり、日本と
同じくF1は一階のこと)にある飯店で夕食。豚菜スープ、炒飯を食べ中国入国の第一夜を
広州の流花(リュウファ)賓館に泊まった。1日の長かったこと。浴槽で着ていたアロハを洗
濯し、下着も洗って浴場で干し、歯を磨き休む。後程わかってくるが、何と云っても中国
の玄関口であり、ホテルも先ず国際旅行客の宿泊を体験した者達の経営であることも推測
出来る。


 
   広州火車站                 広州流花賓館

つづく






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