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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3527赤松次郎:2014/12/17(水) 21:11:19
α41号表題「気」前書きを読んで
 「気」という表題をつけた万理さんは、まさに彼女の解説にある様々な感覚を鋭く持ち
合わせた才気煥発な人だと思う。同人になってちょうど五年、その間に溢れるような大量
の表現をしてきたが、人を騙したり蔑んだりといった悪意のある表現は一つもなかった。
しかしその破天荒な表現力や発想力に己の理解を超えたものを見たごとく、精神的な異常
さを感じ恐れ戦のいたりした人たちにより阻害・排斥されようとしたことがあった。しか
し作者は決して彼等の悪意ある行為につぶされることはなかった。
 本来はそのこととは全く別な次元のものだったにもかかわらず、組織的な議論の最中に
同人を離れていった人たちがいた。その後のその人達によって公正さや道理や正義や良心
に反する行為を受けたとき、私はいろいろなことを考えてみた。そして今私は侠気を持つ
高倉健のような人が私の回りにいなくなったことを嘆く。自分の損得を顧みず弱い者のた
めに力を貸す気性のある人がいないことを嘆く。大上段にかまえて社会の悪を懲らしめる
ような論を放つ一方、己の嘘や不正の行為にたいしての反省もなく、また身近な悪を見て
見ぬふりをする人が多いことを嘆く。かといって私が今思っている公正さや正義や良心と
いったものがはたして真に正しいものかどうかの確信はない。

 二年ほど前に公正さや正義とは何であるかを捜すべく、ハーバード大学のマイケル・
サンデル 教授の「白熱教室」での講義に触発されて、『これから「正義」の話をしよう』
という本を買った。また彼のよりどころとしている論の基であるジョン・ロールズの『正
義論』というものがあることを知った。
 その後本郷に住んでいるときよく通った三省堂に『正義論』があるのは知っていた。
「白熱教室」で語られる中でその本の朧気な内容は理解していたが、ただ埴谷雄高の『死
霊』と全く同じ、厚さ5センチ重さ1.5キロ、値段8,100円の本とその内容に恐れをなし
て、ただ横目で見て通っていたのだが、最近踏ん切りがついて遂に購入して今読んでいる。
この本をどうして二巻にしなかったかは私には判らない。おそらくジョン・ロールズも埴
谷雄高も巻を分けることで論を分断されることを厭うたのだろう。そんな大書だから『死
霊』の時のように、読み終わるのは数ヶ月を要するだろう。

 そのほかにフランシス・フクヤマの『政治の起源』を読んで、国家のあり方を学んだ。
地縁や血縁といった小さな集団から、その絆を解き放し大きな国家となるには宗教とか外
敵・戦争などの共通の認識を作り上げる要素がいると言う。そして近代的な政治制度の発
展には「国家」「法の支配」「政府の説明責任」の三つの均衡が必要だと説く。神や王権
の上に法があり、ちなみに「政府の説明責任」とは民主主義における選挙制度のように国
民の意思によって為政者を選択出来ることをいう。そしてこの三つのバランスが大切だと
説いている。
 また 「自由がいい、何でもありがいい」と言って出て行った人たちは、人間が社会を
形成しなければ生きていけない動物だとすれば、自分の自由や欲望、すなわち自己保存の
本能だけを主張するのでは成立しないことを自覚しているであろうか。そこには公正とし
ての正義がなければならないとジョン・ロールズは説いている。いままではベンサムやロ
ックなどの功利主義が社会のシステムとして自由主義世界を論理的に説明してきた。しか
し共産主義の国家は崩壊しつつあり、かといって勝利した資本主義世界が理想的なものだ
とも言えない。度を越した自由至上主義(リバタリアニズム)が勝利至上主義となり、人
の平和や幸福を脅かす情況になろうとも、マネーゲームをして大金を手にしている人たち
がいて、貧富の格差を生んでいる。はたしてジョン・ロールズの「公正としての正義」が
人間の自由と平等を保障する新しい社会のパラダイムとなり得るだろうか。

 随分「気」の感想から外れてしまったが、「けはい」「こころもち」「目に見えない力」
「生命の原動力となる勢い」「その物の本来の性質を形作るような要素」などなど、まさ
に私は、作者に目に見えないダークマターのような偉大なエネルギーを感じたのだ。

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