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3029赤松次郎:2013/12/30(月) 12:05:54
歪んだ風景という題について
 ある冊子で「騙される脳」という興味ある記事を読んだ。
UFOや幽霊、石や木や物にキリストの姿を見たりする超常現象を信じる。アポロの
月着陸を捏造と疑ったり、見えない組織が世界を動かしているなどといった陰謀説な
どを信じる。日本人とユダヤ人の祖先は同じであるといった「日ユ同祖論」もまたし
かりである。これは複雑で難解な事象を理解するために、思い込みによる間違った解
釈で物事を単純化して納得しようとする考えである。そういう人は物事を理屈で判断
するというよりも、自分の感覚や情感で判断する人が多いという。ひとつひとつ事実
を突き詰めていけばそうではないことが判るはすだが、頑なに信じ込んだ頭にはもは
やそれ以外は受付ない。勿論私も、エッシャーの「無限回廊」の絵に騙され、同じ長
さの線の両端が外向きの矢印と内向きの矢印では長さが違って見えるのは否めない。

  歪んだ風景の読みを「ゆがんだ風景」と読むか「ひずんだ風景」と読むかという
ことが昔話題になったことがあった。読者がどのように読もうと自由だから、ことさ
ら話題にしなくてもいいのだが、辞書では
  ・ゆがむ: ねじれたり曲がったりする。 正しくなくなる。 いびつになる。
  ・ひずむ:外から力を受けて形などがゆがむ。
 私は己の目で見たり聞いたりする事象が、はたして真実であるかどうかという疑問
をいつも考えている。それは外部からの情報が頭の中で処理される段階で間違った判
断をしていないかという疑問を抱いているということである。その意味でいくとそれ
らの情報が外部の力で変形されたものではないとなれば「ひずんだ」ではなく「ゆが
んだ」という読み方が、私に取っては正しいような気がするのである。

 その自省の癖には私なりの理由がある。私は三十三歳のとき会社勤を辞めて以来、
ずっと一人で仕事をしてきた。何日も何日も人と会って会話することもない日が続く
という環境で四十数年過ごしてきた。だから私の物事に対する考えが人より偏向して
いないかと常に自省し、真実は何かをあらゆる角度から検討し、見つけ出す努力を惜
しまないようにと心掛けている。そのことが「騙される脳」にならないための唯一の
方法であろう。異物や異論を受け入れる多様性こそが生命の存続に通ずるとすれば、
個人の価値観で物事を一方的に声高に断じたり、揶揄したり、蔑んだりすることは、
ある意味で「騙される脳」の一形態に見えてくるのである。

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