したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

3005赤松次郎:2013/12/19(木) 16:45:28
37号「人生詩」を読んで
 神野氏が私の作品に対する評の傾向をみると、情感や情景描写の素直さを指摘するこ
とが多い。例えば「三つの願い」や今回の「シリーズ・歪んだ風景−鐵橋 第六回」にお
いては論証的で説明的で理屈をこねたり、理に勝ることを諫めているようだ。
 小津映画の特徴として「説明的な要素を極限まで削ぎ落としたセリフと、端正な構図
が挙げられます。“家族や人生”をテーマに人間心理をついた一言は、多くを語らない
分、作品には観客が想像する“余白”が残されており、自分の境遇に照らして寄り添え
る魅力がある」という評価がある。

 さらに文章の種類について調べると、旺文社から出ている本の中で、文学的文章と説
明的文章の違いについて記述してある。「世の中には無数の文章がありますが、これら
は大きく二つの種類に分けることができます。それが「文学的文章」と「説明的文章」
です。詩や物語、随筆が文学的文章に当てはまり、説明文や論説文が説明的文章に当て
はまります。文学的文章は読者の感動を目指すために書かれる文章であり、説明的文章
は読者の理解を目指すために書かれる文章である、という説明がされています。
だからこそ、この二つの文章の種類を比べれば、筆者が説明あるいは論述しようとして
いる事柄は、直接的な言葉で、しかも論理的にはっきり整序された文章の構造の中で記
述されるから、読みやすいのは説明的文章の方になります。
 それに比して、文学的文章は読みにくい文章です。読者の感動を目指しているのです
から、筆者が表現したいことを文章にする際に、そのことをまさに表現する言葉が直接
に使われることはあまりないのです」とある。
 あるとき高村薫の「照柿」だったか、あまりにも専門的な知識を延々と数ページに及
ぶ記述に辟易したことがある。その小説の主題がその専門的な知識の披露を目的だった
のかと思うほど、物語の筋の進行を妨げていた。結局最後まで読まずに放ってしまった
記憶がある。これは説明文と文学的文の混在した、私にとっては魅力に乏しい作品だっ
たと記憶する。

 さて、私の説明的作品と違って神野氏の文章は、「言葉集め星創り」「始原へ遡ろ
う」「パラレル宇宙」「人の像をした美しい青い地球」、およびこの「人生詩」にして
も、全くの文学的な作品であるから難解極まりないのであるが、そこには知識の披露で
はなく、己の率直な感動の記録だから、小津映画と共通する素直さや清新さが人の情感
に触れる作品を描くことが出来るのであろう。

3701
  






掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板