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2939資料管理請負人:2013/11/19(火) 10:57:53
アーカイブ/海辺のカフカ
【村上春樹「海辺のカフカ」をめぐって北氏と古賀氏】−2010〔窓辺にて〕より


■北さんの文章は、いつも変わらず一貫して北さんだ。そしてひとこと「ウマイ」。
■北さんと古賀さんの関係、「ウラヤマシイ」。ちょっと「ズルイ」。これ嫉妬?
■村上春樹と池田晶子大ファーンの友人Sにこれを見せよう。




2010年2月14日


 古賀君     北 勲
無沙汰しています。「窓辺にて」もパスワードの関係でこの頃玄関払いの形で拝見していません。またパスワードを見つけましたので、すぐにも覗いてみます。
ところで、古賀君、『海辺のカフカ』を読了しました。君に借りたのは何年前だろう。ここにきてやっと読み終えました。いつか何かの際に目にした『ふかふか』という村上春樹のエッセーにさすがと心打たれることがありましたので、やっとこの長編も読む気になったものです。大分刺激されて、読後僕もまた書く気になりました。だが彼にはない「宇宙からの視点」でものしようと思います。僕の『海辺のカフカ』の読後感を添付しました。お暇の折りに、気晴らしに読んでみてください。 では……
▼『海辺のカフカ』を読み終えた。
・隅々まで配慮の行き届いた工芸品とも思える完成された作品だ。
・構想力がすごい。幾つも突拍子もない出来事が起こる。現実ならまだしも、非現実と思 えるものもその中には含まれるが、ばらばらと見えたそれら最後へかけて一つのものへ 絞り込んでいく。
・知的、端正で軽妙な文体に品格がある。しかしその反面、文にいわゆる乗りがなく、文 章が一文一文貼り付けられたみたいで、全体ドストエフスキーなどのアナログに対して デジタルという感じがする。ドストエフスキーの文体というのは、例えば、馬を走らせ るとする。「面白くなって、それ行けと馬の尻を叩く。それ行けそれ行けとあまりにも 叩きすぎてしまいには馬の尻からは血が流れるほどだ。ところがふと戻りたくなって、 手綱をさばいてくるりと方向を転換し、もと来た道を同じようにして馬の尻を叩いて行 くのだった」たとえばこんな按配である。
・つとに知られているように、直喩に優れ、それが宝石のようにちりばめられている。そ の譬喩の箇所だけを読み直してうっとり味わったりするのが読書の一部となった。
・描写にぬかりがない。都会と田舎、山と海などの情景描写でも人物描写でもコントラス トで組み立て、それぞれが、だいたいにおいて、色、形、匂い、音、手触りを抜かすこ となく多面的に描かれている。
・言葉を遣うことへの配慮がある。文書体と会話体、諺、比喩、言葉の洒落、いろんな文 体の採用、……。言葉遊びもしっかり視界に入っており、立派な文芸書と言える無い物 ねだりは、高松を舞台とするのだから、そちらの方言をおもしろく取り入れてほしかっ た。
・芸術関係への案内が豊富。ベートーベン、ハイドン、フールニエのクラシック。コルト レーンなどのジャズ。文学に至っては、『源氏物語』『雨月物語』などの我が古典、デ ィッケンズ、イエイツ、その他外国文学からの引用、哲学のヘーゲル、ベルグソンも使 う。他に彫刻や絵画にも一家言あり。諸事、国内外に及ぶ。高級感及び品性が醸成する 所だし、教養という価値も与えている。
・願うらくは、我が国の民謡や浪花節、邦楽、尺八、三味線、また漢詩、漢籍なども登場 させてほしかった。西洋の酒や食い物にはうるさかったが、我が味噌汁、御飯にも、例 えばハナマルキの花鰹、ヒゲタの醤油、新潟のコシヒカリなど、ああ作れば美味い、い やこっちのほうがいいと、蘊蓄を傾けて欲しかった。第一、カフカ君、ホシノさんも御 飯など和食はあまりとらず、パン食がほとんどだ。また、「入り口の石」として大事な ものなのに、石の描写が平凡。堆積岩、火山岩、変成岩に始まり、色も硬さも重さもま ちまちなのにだ。森の鳥の描写も精彩がない。こちらの分野に作者は多分明るくないの だと思ったりする。
・ジョニー・ウォーカーやカーネル・サンダーズが、商品のレッテルや看板から登場した には思わず吹き出した。ぼくら年配者には漫画チックだ。
・49章のうち、46、47章のほとんど最後まで「ばかばかしい」という印象を持ちながら読 んだ。どうして母親と姉と交わらなければならなかったのか。倫理観からくる激情が伴 うと思われるのに、事はあっさりと表層的に進む。感銘は受けず、作者のメッセージら しきものも得られなかった。
・カフカも15歳の少年にしては老成しており、初々しさがないと感じた。音楽のコードに ついては弱冠にしては驚くほどの正鵠を射るが、どうしてそんな知識を持つに至ったか の説明がない。性の交わりに関してもこの歳にしては老成しており、それならそれでい いが、納得する説明がない。
・ナカタさんなんか、面白いキャラクターだし、ほのぼのとしているけれども、なんだか な、と思えてしまう。ホシノくんもそうだ。生きているというより、ストーリーを展開 するうえでの部品ではないかとの感じが強い。
・最後の生死の中間点リンボから主人公が蘇るくだりは印象的で、僕には一番いいシーン で、読んだ甲斐があったと思わせた。しかし帰還したところで主人公はもっと饒舌に改 めて触れた存命の喜びを語ってもよかった。そう言えば、生を祝う、生きていることを 喜ぶ(我を忘れる)描写がこの作品には少なく、人生はこんなもんじゃないと、当方に は大いに不満が湧いた。
・記憶喪失のナカタさんが佐伯さんに頼まれて、佐伯さんの全生涯の記録を消却する。ナ カタさんは佐伯さんに邂逅するためにストーリーのはじめから存在してきたようなもの で、何かここに作者の思い入れがあると思われるが、詮索する気にならない。
・作者は謎を解かない。?を読者に投げ与えるに留めている。それは印象的で、作品が心 に残る技だ。(ベケットは作中で謎解きするなという意味のことを、師であるジョイス から教えられたと言っていた。)
・とうとう天体は出て来なかった。われわれの生が宇宙の一員であるという認識はすごく 大事だと思うが、作者は若い人に伝えようとしていない。無い物ねだりをするとすれば、 作者に「宇宙」からの視点を持ってもらいたい。作者は生死を見つめているが、人生の 内側からのみ見ている。池田晶子のように宇宙から見よう。すると生死には「聖性」が 宿る。人為の人の世と違って、自分の誕生と絶命は自分の力ではどうにもならないから だ。ここにいる我々は多分生きることの深奥所に行き着いているのだ。
・大部分、あっくりこっくり読む羽目になった。描写は詩的でぬかりなく丁寧だけれど、 先を読みたいとはなかなか思わせられなかった。


 北 君    古賀和彦
仕事に忙しい中、感想有り難う。このような長い読後感を書いてくれる所を見ると、時間的にも少し余裕が出来たようですね。
君の言う通り村上春樹はストーリーテラーとしては第一級の作家と思われます。確かに自分探しと謎の解明という筋の展開の巧さで最後まで読ませますが、読者の生き様に対しての意味合い・インパクトがないと僕も読んだときにそう思いました。これは今まで読んだ村上春樹の小説全般に言えると思います。純文学と通俗小説との間の微妙な位置にあるような気がして、文学少年・少女に受けるのは判るような気がします。
追記:話はちがいますが、エラさんの作品の「BUTTERFLY  EFFECT」についての僕の感想
を書きましたので、一読してみてください。そのうちまた「伊豆栄」の鰻でも食し
ながら創作談義でもしましょう。この前は君の居た池之端から谷中の方へ抜け、ぐ
るっと回って散歩してきました。様々な花が咲く季節、早く暖かくなると良いですね。






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