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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2855万理久利:2013/09/19(木) 09:20:50
歪んだ風景―鐵橋 第五回 評の2
【言葉・表現への拘り/プライド】

 以前、著者の作品を「美文」と言ったら、おこられた。どうやら一時文壇で流行った懐
古趣味に走るだけの文章へのいわば揶揄的なものらしい。当時の評者にとっては似たよう
なものだと思ったものだが、今では「きれいな文章」と表現するように改めた。
このあたり、著者がいかに言葉に拘りを持っているかが想像できる。
 言葉といっても、現代の話し言葉そのままの書き写しではない。まるで漱石や鴎外とい
った純文学の匂いがぷんぷんしてくるものが多い。この作品もそう思える。

  「短躯だががっしりした体形の、柔道でも習ったのだろうか、」
  「茅や虎杖や草いちごなどの夏草が茂り、牡としての本能をくすぐるような
   青臭い体液のようなむっとする草いきれ」
  「泳ぎの疲れと暑さのために揺蕩う意識の中でそれは起こった」
  「Mはもんどり打って傾斜した草むらに落ちていった」
憎いばかりの情景描写だ。草いきれ、揺蕩う、もんどり打つ、日本語には情感溢れるいい
言葉がたくさんあるのだ。
評者はたとえ古い言葉を知っていても出てこないし使えない。気取って無理矢理貼り付け
たとしても違和感が出るに決まっている。自分の言葉として吸収していないからだ。

 著者はいつも古き良き言葉を使うわけではない。「五、六人の面浮立が縦に並んで踊り
進む」様子のことをエイリアンともプレデターのようだとも表現するところが面白い。
 たくさんの本を手にして、その読書経験と生きてきた経験の中から、自分に適さない
「言葉遣い」を徹底的に排除して、自身の言葉遣いを創り上げてきたようにも見える。
言葉は人なり、人は言葉なりとばかりに、生活態度にも徹底したものがあるように見える。
それは、他人の安易な批評などを易々とは受け容れない頑固さであり、また著者のプライ
ドなのだろう。
 次々と消えては登場する新語と絵文字のチャットメールに象徴される、話し言葉や借り
物言葉の世界に慣れてしまった人は、こんな作品は手をつけないし読んだとしても解らな
いだろうし、味わえない。辞書を開くのは大儀で、聞き慣れた、使い慣れた話し言葉で綴
られる文章の方が楽だからだ。商業的には「売れない本」の範疇に押しやられてしまうの
だろう。それでも未来の世代に選び抜いた好い言葉を残す。だからこそ使って残す。


【結界とプラットホーム】

 このシリーズを読んだまだ三十そこそこの読者が、「こわい、こわい。この人に霊感を
感じる」と言っていたと人づてに聞いた。大げさでひょうきんな人だから誇張もあっただ
ろう。それでも分からないこともない。この作品第一回目、印象に残ったのは「結界」と
言う言葉だった。異なる世界を区切る境、壁、といった印象があるが精神世界、宗教的な
世界の言葉でもある。こわいと言った人はその雰囲気を感じ取ったのだろう。
 毎回、故郷のX川、Y川そしてそれに架かる鉄橋が結界の象徴であることを漂わせる。
今回で思ったのが、現実の主人公が居るプラットホームだ。主人公にとってこのプラット
ホームは結界そのもので、[あっち]と[こっち]の間を揺れ動く、それが起きる特別な
場所なのではないかと。
 最終回までに、このプラットホームの印象は変わるかもしれないが、評者はこの作品に
「こわい」という感情を持ったことは微塵も無い。あまりにスピリチュアルになってしま
うと評者の場合はどこか「お笑い」の方へと突き抜ける癖があるが、そこまで行ったこと
もない。いい塩梅といったところだろうか。
       おわり
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