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仁和寺からの連想 評
これまで著者の作品の中に、こんな言葉から始まる作品がありました。
「馬上少年過ぐ」
「願わくば 花のもと(した)にて春死なん その如月の満月のころ」
「祇園精舎の鐘の音」
今回は、「仁和寺にある法師、…」(徒然草五十二段)から始まりました。
このように、頭に、詩や文章の引用があると、いったいこれから何が語られるのだろうと、
読者に興味を抱かせるようなところがあります。
これまでどおり、実に著者らしい[連想]が繰り広げられています。
【徒然草五十二段の分析調査】
著者は仁和寺の法師が、石清水八幡の本宮ではなく、下の関連社寺だけにお参りして満足
したという兼好の話に、いやまてよとばかりに疑問を持ちます。知らないわけがない、す
ぐ近くだろうと。
地理的に仁和寺と石清水八幡の距離、配置と、次ぎに当時の二つの格付けの確認です。
そして、
「過去のことを現代で捉えると混乱することが多い」とあるように、著者は兼好が生きた
前後の時代、平安末期、鎌倉、南北朝へと立ち位置を移動して、この物語を問い直すので
す。時代を振り返り、道路の整備状況、歩いていても糞尿や兵士の血や屍の臭いがあった
であろうと著者は推測します。これらの視点は、通常では持てそうで持てないところです。
【寄り道】
兼好法師の懐具合と、同時代を生きた三人に触れています。
寄り道というか、題名どうり連想なのかもしれません。それでも当時の様子を浮かべるの
にどこか役立ちました。
兼好法師のパトロン的存在金沢貞顕や高師直のラブレター代筆アルバイト等で、たっぷり
と長旅の旅費や、物を書き付ける高価な紙代に当てていただろうとの推測はなるほどと思
わせました。
もう一人、真言密教に通じる文観が登場します。「自性清浄」から性の開放まで引き出す
など、今であれば進歩的にも思えることのようでも、そこには規制の無い欲だけを煽る、
あるいはそうならざろう得ない時代であったことが少し想像できます。
【作品の終わり方の面白さ】
なんと、著者は最後に現代においての京都めぐりを図ります。仁和寺に寄り、最終目標は
石清水八幡です。電車も石清水八幡のある山頂へのケーブルカーがあっても、かなり時間
がかかるのです。こんな試みをしたところで終わります。
全作品を通して流れる、どこか「科学少年」らしさが良く現れていて、構成的にも読者を
「最後はやっぱり、やっちゃうんだ」とどこか納得させる、爽快感すら感じさせる終わり
方になっています。
おわりに
*仁和寺の法師は石清水八幡がどこにあるか知らなかったのか、
例え知っていたとしても、当時は山の麓にある関連施設にお参りしてそれで良しとしてた
のかもしれません。兼好ほど懐具合も良くない、時間もない。道は悪くて土埃とともに悪
臭が漂う。おまけに治安も悪いとくれば、そう「近そうで遠いは石清水」だ。
*「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。」
兼好は仁和寺の法師をバカにしたのか、それとも、
仁和寺の法師には案内人など必要なかったのだ、との逆説を言っているのか、
評者に、そんな連想を生じさせる作品となりました。
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