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2771長岡 曉生:2013/07/07(日) 00:52:13
仁和寺からの連想:評
★仁和寺と徒然草
 仁和寺は、京都における代表的な寺である。しかし、同寺ゆかりの覚鑁上人について私が
投稿した今号に、徒然草第五十二段の仁和寺の法師の話が出て来たことには、非常に驚いた。
作者は、この段と出会ったのが高一の授業(国語か古文)とされているが、徒然草ならば、
古文の授業だった筈である。二年次あとの私がうろ覚えのこの話が、ここで出てくるのは、
理系指向の作者にとって、この話が論理的におかしい疑問点を持っていたからだ。
第一の疑問点は、京都仁和寺にいた法師が、近郊の石清水八幡宮の本宮が山頂に有ることを
知らないことはおかしいという点であり、第二の疑問点は、それ故この話はフィクションで
はないかと言う点である。しかし、フィクションならば、冒頭は[とある法師]か[さる法
師]であるべきなのに、実際はそうではないという古文に関する知識から、第二の疑問点は
否定される。  などなど、この後も話は論理的に進んでいくのが、興味深い。

 ただ「平安時代に風呂に入る習慣は無かった」という記述は、少々誤解があるようです。
[平安ライフ 3]  http://murakumo1868.web.fc2.com/01-ohsyu/o1-0012-03.html
によると、当時の貴族の風呂は現代とは異なり、蒸し風呂系とかかり湯系の二つがあり
蒸し風呂では、1)湯を沸かし、締め切った部屋に湯気を送り込む か
       2)浴室の簀の下に湯釜を置き、湯を沸かす    か
のいずれかの湯部屋に湯帷子を着て入ったそうです。
かかり湯は、汚れを落とす禊ぎの作業だったようで、かかるのに湯のほかに水を使うことも
あったそうです。
『風呂と湯の話』(武田勝蔵、塙新書)によると、朝廷の儀式や法会に携わる公家たちは、
出座の早朝には必ず沐浴、小浴をしていたとあるので、そういう時に使われたものかといい
さらに、平安の上流公家(摂関家)の日記や具注暦を調べると1ヶ月の入浴回数は4・5回
であり、それに小浴を合わせると2・3日おきに1度は入浴していたようです。

 済みません。なんだか本題からずいぶん離れてしまいました。
長くなりすぎたので、おあとは他の人に任せましょう。
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