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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2765長岡 曉生:2013/07/02(火) 02:24:13
肥と筑:赤松さんへのお答え
◆その1に対して
★二礼二拍手一拝は、GHQの占領政策の中で、神社本庁が戦後に定めたもの
 この元となるブログを見て大いに疑問を感じました。なぜなら、GHQの意向が国家神道
否定のために神社参拝作法について干渉することにあったとすれば、参拝作法は如何なる形
をとっても良いと指令を出して、このことにより神社ごとの作法を意図的に違えさせ、相互
分裂を助長する方向に持って行った筈だと思ったからです。
 そこで、信頼の置ける関連記事を色々と探してみた結果、標記の命題は明白な間違いだと
判りました。次のURLで説明しましょう。

 http://nishinojinja.or.jp/faq/020.html では、神社新報『神道いろは』よりの転載と
してこう有ります。
 私たちが人に対してお辞儀をするときは、普通は一礼だけですが、神様を拝むときは一般
に「二拝二拍手一拝」の作法が用いられます。
 この作法は我が国の伝統的な作法である両段再拝に基づくものです。両段再拝とは、再拝
(二拝)を二度行うことをいいます。実際の作法では、拝を連続して行うこともあれば、二
拝の後に拍手又は祝詞奏上を行い、再び二拝を行う場合もあります。
 拍手については、古くより我国独自の拝礼作法として、神様や貴人を敬い拝む時に用いら
れました。平安時代、大陸との交流による影響で、宮中ではこの作法は行わなくなり、ただ
二拝のみをするようになったことが文献に見えます。しかし、神様を拝む際は変わらず拍手
が用いられてきました。
 その後、この両段再拝の作法も各流派や神社によって多少の違いを生じましたが、明治八
年に式部寮によって編まれた「神社祭式」に「再拝拍手」という形が規定され、これを基本
に「二拝二拍手一拝」と言う参拝作法が慣例化しました。   後略
 つまり、「二拝二拍手一拝」と言う参拝作法は、明治期に既に慣例化していたものです。

◆その2に対して
★満州八旗がはたしてそのまま現代に引き継がれているか
 二つの面から見てみましょう。
1)構成部族は、主として満州族か
 これについては、明らかに否ですね。
2) 規模が同等な八つの部隊から成っているか
 これも、明らかに否です。

 赤松さんが言われるように、中国では王朝の崩壊時には、各地に軍閥が割拠して、覇を競
いあい、最後に勝ち抜いた者が王あるいは皇帝となるという過程が繰り返されました。
その極端な例として、政治が乱れて各地で暴徒化した民衆が山賊化し、その首領が地方を統
一して王を称し、同様にして生まれた各地の王の中で勝ち残った者が、皇帝と成りました。
明朝を建てた朱元璋(太祖・洪武帝)は、その典型的な例でしょう。

 このような状況を揶揄して「初めに大王と成り、次に王と成り、最後に白帽をかぶる」と
言われています。
 ここで、初めの[大王]とは、付近の民衆達がこの首領を大いに恐れて奉った尊称です。
次の王は、通常の表現です。最後に白帽をかぶるとは、[王]字の上に[白]字を加えると
[皇]字になることから来ています。
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