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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2662碇 民治:2013/04/16(火) 19:33:24
拙い合評をお読みありがとうございます
合評御礼
小生の拙い作品に御丁寧なお読み戴きありがとうございました。今回の作品の資料を求める間に新しい発見を見つけました。
『同人α』の諸兄は御存知だと思いますが、小生、源氏物語も読破もせず独自の判断ですが、源氏物語の玉鬘は京をはなれ鏡山を暮らし美しい少女になった事です。
唐津市東部にある鏡山。山頂まで自動車道があり駐車場もある。山頂部は平らで池もあり公園化されている。山頂は鏡山神社があり、みやげ物店や展望台、芝生広場、休憩所などがある。この展望台からは日本三大松原と言われる虹の松原や唐津湾、唐津市街地、浜玉町市街地、遠く壱岐までも見渡せるすばらしい眺めを見れるだそうです。鏡山は桜やツツジの名所で、鏡山には日本三大悲恋物語があり、山上憶良を始め多くの歌人により万葉集に詠まれ、「古今著聞集」、「十訓抄」、「松浦宮物語」、「羽衣の伝説」、「浦島太郎伝説」と並んで、日本三大伝説、三大悲恋物語。多くの伝説があり、不思議な名山ですね。小生も中学2年の夏休みに利用し3泊4日でキャンプに行きました思い出が深い事です。健康ならもう一度登りたいと思ってます。
佐賀県武雄市北方町(武雄市の合併前杵島郡北方町)出身の有名俳人古舘曹人は赤松さんの同郷で大先輩でしょう、東大俳句会のホトトギスの俳人です。鏡山の事も良く詠まれます。
本題にもどります。源氏物語の『四の君』は右大臣の四番目の娘、弘徽殿大后(桐壺帝の弘徽殿女御)の妹、朧月夜の姉で政略結婚で右大臣の政敵で左大臣の嫡男である頭中将と結婚しその正室となった。『頭中将』は光源氏の親友であり、政敵もあり、光源氏の最初の妻の『葵の上』は弟と妹、『頭中将』と『光源氏』は義兄弟です。『頭中将』と『四の君』は若い頃、夫と疎遠であり頭中将との間は・柏木・紅梅・弘徽殿女御(冷泉帝に入内)らをもうけ、夕顔のところへ通っていた頭中将に嫉妬し脅迫状を送り、玉鬘を産んだ夕顔が姿を消えた。『玉鬘』は頭中将と夕顔の間に生まれた娘で、母夕顔は頭中将の正妻に脅され姿を隠し、逢瀬の途中に不慮の死を遂げた。乳母たちはそのことは知らず、玉鬘は二歳になったばかりに乳母一家に連れられ筑紫へ流れ、その後筑紫から鏡山に移り住んだらしい。二歳から二十歳まで住みそこで美しく成長した。美しく成長した『玉鬘』を知り筑紫の豪族大夫監の熱心な求愛を受けるが、大夫監の熱心な拒みを逃れ乳母一家は都へ逃がれ上京した。長谷寺参詣の途上で偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会、その紹介で源氏の邸宅・六条院に養女として引き取られ、源氏の弟宮である蛍兵部卿宮をはじめ、髭黒、柏木(実は異母兄弟)など多くの貴公子から求愛され、出仕前、髭黒と突然結婚する。
髭黒は承香殿女御を妹に持つということから血筋は何ら問題はないものの、髭が濃く、色黒な外見は「髭黒」の通称は由来する、すでに兵部卿宮の正妻の紫の上の異母姉にあたるを妻にしており、妻との間に子供もいることなどから玉鬘も二人の子供を養なった。光源氏も乗り気ではなかったが、玉鬘付きの女房をうまく手引きさせて強引に玉鬘を自分のものにしてしまった。
玉鬘と源氏物語のサイトはhttp://kakitutei.web.fc2.com/yukari/karatu/nagisa.html
玉鬘の鏡山の古墳のサイトはhttp://kakitutei.web.fc2.com/yukari/karatu/kagami7.html
上記サイトは筑紫から鏡山に場所を移り住み美しく少女に成長するに至った。機会があれば、資料を求め投稿しようと思ってます。勿論、『同人α』諸氏の方が更に詳しい投稿して戴ければ幸いです。
今回の作品は小生やみくもに資料を求め面白くもなく文芸上の意図もなく、貴重な紙面を戴き恐縮しました。
最後に『同人α総務』殿は合評に際し孤軍奮闘を誠に感謝します。ありがとうございます。




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