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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2389赤松次郎:2012/09/29(土) 09:18:58
家族の風景 第一回を読んで
この物語は始まったばかりで作者がどこへ連れて行ってくれるか今のところ判らない。しか
し複数の家族を扱うという難しいテーマに挑戦しているようだが、迷路にはまることもなく
なかなかうまい描写で纏まっていて、第一回の出だしとしては一気に読ませるものになって
いる。作者の意図や物語の行方の判らない今は内容についての評論はまだ書けないので、こ
こで小説のスタイルについて一般的なことをちょっと考察してみようと思った。

「家族の風景」に登場する人物の人称は、肇とか則子、誠などといった名前を持っていまか
ら三人称で書かれている。
では人称とは何かというと、話し手および聞き手という役割とそれ以外を区別する文法規範
と物の本に書いてある。話し手という役割を一人称、聞き手という役割を二人称、それ以外
を三人称という。
では人称とはどのような物を指すのだろうか。
 一人称とは「私」「僕」「俺」
 二人称とは「あなた」「君」
 三人称とは「彼」「彼女」「あいつ」「こいつ」「やつ」「彼奴」「彼等」「彼女たち」
??????????????及び名前をあたえられた人物

ではどのような人称で書かれる小説があるか。
夏目漱石の「吾輩は猫である」は「吾輩」という一人称
倉橋由美子の「暗い旅」という小説は「あなた」という二人称で主人公を書いている
一人称の小説は私小説などの傾向が強く、二人称の物は少なく、その他に三人称の小説が大
半を占めるようである。

創作資料室というホームページによると
一人称の視点
 一人称の場合、自動的に語り手の視点となり、語り手の見聞きしたこと・思ったこと ・
 感じたことのみが書けるし、物語は「語り手」というフィルタを通して読者に伝わ ので
 ある。しかし語り手の主観が入るので、語り手の見間違いや勘違い・思い込みなども、事
 実として読者に伝わることになる。

二人称の視点
 二人称の場合、心理描写はいっさい無く、語り手が語ったことのみを書ける。すべてが、
「語り手の語り」というフィルタを通して読者に伝わる。

三人称の視点
 三人称の視点では、登場人物の主観をまったく入れずに、描写する。「彼がこの物語の主
 役である」というように、描写の語り口に作者の主観を入れる場合もある。

カエサルの元老院への報告を元とした『ガリア戦記』は、作者たる本人をも「カエサルは」
という三人称で書かれている。これは客観的な立場で見聞きしたことを強調するためか、微
妙な情勢のなかでカエサルが自己顕示欲の強い人物として視られないように、或いは市民の
羨望や人気をあおり立てて政治的に敵を作ることを懸念するなど、いろいろの意味が含まれ
ていると言われている。

このように物語を書く場合の作者の視点が大いに作品の傾向を決める大事な要素となるであ
ろう。いま「家族の風景」を読んで一気に読み終えるほどの語りが進むのはいいけれど、そ
の緊張感の持続に疲れることを感じたのは私だけだろうか。筋がスムーズに進むばかりでな
く重層的に語ることは考えられないか。丁度四次元の世界のように、点や線や面や立体、時
間などの要素を組み込んだ語りだ。だから三人称の物語のなかに一人称たる作者が哲学や芸
術などの蘊蓄を傾けたり、三人称の主人公が一人称の告白をしたり、もっとも会話に於いて
は一人称から三人称まで表現出来るのだが・・・。以上いつもの勝手な感想で申し訳ない。
異論、反論大いに歓迎します。






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