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2386赤松次郎:2012/09/25(火) 14:20:51
「語り」と「ことば」
「語り」と「ことば」・ハイデガー「存在と時間」

「語り」と「ことば」の両者の関係は、「語り」が外に向かって発言されたとき、「こと
ば」になる。このとき「語り」は共同存在として属しているところの世界・内・存在の物分
かりを「意義をあたえながら」分かつことである。聴く人は承諾したり、勧告したり、拒絶
したり、警告したりしながら、言葉を受け取り、話合う。

こうして語りは世界・内・存在の開示性を世界・内・存在を構成する。伝達は共同存在とし
ての了解力を「分かつ」ことになる。しかし語りは、ことばの表現だけに限定されない。音
の抑揚、転調、話のテンポ、「話っぷり」のあらわれである。したがって語りの表現は、詩
的(演技的)な要素も要求され、全体的なパフォーマンスとして存在する。

これらが了解に達するには、それを語ることと並んで、「聞くこと」がある。語ることと聞
くことは、了解にとっては一つのセットである。語ることと同じく、聞くことによっても構
成される。またその中には「黙ること」も同じ意味を持っている。逆に、長々としゃべるこ
とは了解の保証にはならない。「沈黙は金なり」という言葉もあります。このことは、沈黙
の方が意味が大きいことを意味する。

しかしここでいう語りは単なる「おしゃべり」とはちがう。おしゃべりは「根無し草」とい
う性格を持っている。おしゃべりは相手が開示したことを了解することとは限らない。それ
を覆ってしまう。受け売り、自慢、吹きまくりといったおしゃべりは、根無し草の方へ間断
なく流れてゆく。
?????? 荒木 清著「この一冊で哲学の名著を読む」のなかの解説より






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