したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2358万理久利:2012/09/11(火) 09:18:53
「造次顚沛」評の2
スケッチA
これは読んでいるだけで楽しくなりました。
自宅を巡回する様子、運動のためという目的の下になされる様子が、気を止めないような
ところ、飛ばしてしまうところを書いています。「畳をこすって歩く」、「小股を正規の大
股に修正する」、「顔の筋肉の運動をしつつリビングを抜ける」このような表現は凡人に
も気取りやにもできないことでしょう。
Aを「β位相の描写から抜け出ていないようだ」と著者はいいます。
体を鍛える目的、老いとの戦いに挑む、そんなことに捕らわれているところがβ的なのか、
それとも評者が楽しく感じたと言うところに現れるような、“読み手を意識した”文章と
なっているのだと著者は感じたのでしょうか。

スケッチB
Aでの屋内巡回でふと眠くなった和室での様子でしょうか。著者は「意識の記述ではなく、
ある時の自分の様子だが、この時の意識の在り方が「α位相」そのもの」と述べています。
なるほど、自分の感情が挟み込まれていない、目を閉じたとき外から入ってくる目さまし
の音、扇風機が回る音、横にある乾いたタオルの感触、等々を五感だけで捕らえた事象だ
けを表現しているように思えます。

スケッチC
なるほど、登場人物は枝豆の茎を抜き出そうという〈計画〉のもとに作業しています。見
えてくるものもその目的(計画)のために狭められようです。後半では枯れた鞘の対応や
孫の予防接種の是非にまでふれ、しかも自分より判断が的確な妻に任せようとしているこ
とが書かれています。なるほど健康の為に歩くスケッチAと同様、枝豆の処理、その目的
のために見えるものがおのずから狭まるようです。唐突なくらい孫のことに思考が飛ぶこ
とも関係があるような気がします。

丸裸の感覚で受動的な外界(事象)のとらえ方と、目的に沿った自分の価値観のフィルタ
ーを通し、瞬時に見る対象を選択し、そしてまた価値観のフィルターに納める、そんな二
つの意識の在り方があることは、目からうろこでした。ともに長い年月をかけてすり込ま
れてきた(これには親の記憶、先祖達自身の記憶も入るのでしょう)ものが在ると思いま
す。なるほど、人は気がつかないうちに、長年すり込まれてきた脳に納まる記憶を通して
物を見る、そして脳内でうけとる画像にも色をつけ、それを「見たと認識する」。人によ
って見るもの、見えるものは異なっていることは確かだと思います。

見るもの、読むもの(箇所ですら)、聞くものを知らずしらずのうちに選択している。
見えたもの、読んだもの、聞こえたものを知らず知らずのうちに刷り込みの塊=記憶の壺
の中でまた選択する、レッテルを貼り付ける。
こうして在るがままのものを色づけして限定している、そんな風景が浮かびました。
      つづく
3201






掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板