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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2270万理久利:2012/07/04(水) 14:45:25
「心にあるよしなしごと」−評2
この作品で一番興味を引いたのは、前回にも書きましたが、西行の短歌をインド人が見たらどう思う
だろう、でした。西行の短歌はもちろん日本好き、日本通と称するインド人が現地語に訳したもので
しょう。丁度その頃たまたま海外の文学の翻訳について踏み込んで書かれていた本二冊を読んでいた
ところです。日本語、古典すら、日本人である自分はどこまで理解できるのだろう、ましてや海外の
他言語の文章は…。何人もの人達によって邦訳され、解説までついている作品を読んでも、いったい
どこまで、どれだけ理解したのだろう、それがつきまといます。

般若心経、サンスクリットから漢語そして日本語へ。同じように聖書も同じように翻訳されていった
のでしょう。まずはその教えに心を強く打たれた人たちが、おおくの人にも伝えたいその一心だった
のかと思います。

日本でも千年以上前、中国に宗教、国の組織、その他文化を知ろうと海を渡った人達がいます。明治
維新には西欧文化です。西欧の文学を必死に翻訳して多くの日本人に新しいもの、別な考え方を主に
当時学問を積んできた人達が語学を学び、時に留学をして自国民に伝えてきました。

著者は「育ちあるいは背景の違う文明の考え方を、どこまでに理解することが出来るか」と述べてい
ますが、なるほどと思います。不勉強云々の問題ではないのです。
それでも過去そして現代の翻訳者たちの御苦労には感謝します。でも忘れてはならないことは翻訳を
読む側も翻訳する人間も、それが原書ではないこと、そしてそれを理解するだけの器が自分にはどこ
か欠如しているのではないかと、そのことを認識することではないかと思います。
ある人による翻訳を読んで解ったと思い込む読者、著者の言いたいことを十分翻訳できたと思う訳者、
そんな風景は残念です。作品、著者の考え、教えに対して失礼です。

「ゆっくり読んでみよう、手探りで進んでみよう」で終わる著者の言葉はその限界を認識しつつ、そ
れでもほんものの理解に近づきたい、触れたいと言っているように思えました。
読んでいる本とのタイミングでしょうか、色々考えさせられます。

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