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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2269赤松次郎:2012/07/04(水) 05:58:11
肥と筑」第二十一回を読んで-その3(おわり)
遊びは人間の生存のための食欲・性欲・物欲といった原始的な本能に直接結びついてはいな
いが、安息や癒しや希望や夢などのように「よく生きようとする」無意識の思いをはぐくむ
ためのものではなかろうか。しかしこの「遊び」と「射幸心」が結びつく公営競技即ち公営
ギャンブルとなると、あまり誉められたものではなくなる。違法な賭博は論外であるが、公
営の競馬、競輪、競艇などの遊びは多額な金額を使って賭る人の中から、多重債務、貧困
などの人達を生むことがある。これは自治体の収入を得ることを目的としているが、しかし
やはり一種の貧困ビジネスと同じく、飽くまでも本人の自己責任とはいえ、弱者が常に犠牲
になっている現状である。環境整備や福祉の資金を得るために運営されるシステムが、片方
では生活困窮者、性格破綻者などを生む現況になっていることに私は強く矛盾を感じるので
ある。その辺のところに後ろめたさを覚えるのか、公営ギャンブルで得た潤沢な資金の一部
を社会に還元することで免罪符を得ていると思えるのである。

競馬でいえば日本中央競馬会環境整備事業寄付金、競艇でいえば日本財団(日本船舶振興
会)の 海洋・船舶支援事業、造船関係資金貸付、公益・福祉・ボランティア支援関係海外
協力援助事業(海上保安協会)等々である。
しかしこのような公営ギャンブルの存在もまた世の中には必要であるのだろうか。囲碁・将
棋といった勝負事は決して嫌いではないが、競馬・競輪・競艇などのギャンブルをしたこと
のない私にはそれが必要悪かどうかわからないことである。

私はある人からよく「遊び人」だと言われる。今までもこれからもこんなに真面目な者に向
かって「遊び人」はないだろうと思っていた。たしかに本業と平行してこのような創作の趣
味の生活を長い間続けてきた訳だから、そうでない人からみれば二足の草鞋を持っていて、
昼間と夜とに別のペルソナを演じていたと思われたのだろう。
ちなみに二足のわらじとは
  「二足の草鞋を履く」が略されたもので、もともとは江戸時代に博打打(ばくちうち)
  が十手を握り、捕吏になることをいった。ここから同一の人が異なる二種の業を兼ねる
  こと、また、単純に二つの職を持つことを二足のわらじという。ただし、二足のわらじ
  は異なる種類の職・担当を兼ねるという前提にあるため、昼はパチンコ屋・夜はゲーム
  センターで働くといったものや、塾の講師をしながら家庭教師もしているといった、同
  種・類似の職の掛け持ちに対しては基本的に二足のわらじとは言わない。

そのとき私がその二足の草鞋の片方を「遊び」と強く認識していたのかどうかは知らない。
しかし生産性のない行動をそう呼ぶとするなら、私や「同じ活動をしている仲間は皆「遊び
人」なのである。特に私には想像もつかない時間と努力を惜しみなく駆使して創作を続ける
「肥と筑」の作者は、究極の「遊び人」であろう。
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