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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2240歴史愛好家:2012/06/25(月) 21:27:23
新撰組総長・山南敬助
陸奥国仙台藩士と言われ、小野派一刀流免許皆伝の後北辰一刀流千葉道場にて修業。その後天然理心流の近藤勇の道場・試衛館に出入りして創業期の新撰組結成に参加。
天狗党の水戸藩系武士の徒党芹沢鴨・新見錦・平山五郎・平間重助(唯一生存)・野口五郎に相対する現在の東京都日野市近辺の出身の農民中心の多摩派近藤勇・土方歳三・沖田総司達の派に所属。多摩派が水戸派の芹沢以下を暗殺し、近藤・土方ライン成立後、原因不明ながら脱走したものの連れ戻され、京都八木邸にて切腹死する。
そのような激動期に若くして亡くなったが、小生の見解としては山南は九州とは関係ないと思います。
ただ山南に関しては不明な点が多く、詳しいことは解からない。
新撰組関係者は明治の時代まで生存した人は非常に少なく、しかも維新政府の新撰組狩りが続いたため、秘かに生き延びた人が多い。主な生存者は永倉新八、斉藤一、平間重助、鈴木三樹三郎などであるが、平間は茨城の行方市芹沢そして鈴木は長岡暁星さんと同じ市内に葬られています。
小生の住むこの当たりは幕末の激動期に散った勤皇の志士や佐幕派の人々が多く、しかも勤皇の人々は宮内庁から位階を賜り手厚く葬られていますが、これに対して佐幕の人々は無冠のまま粗略にされています。当然のこととは言え「勝てば官軍、負ければ賊軍」の有様を見て、歴史の非情さに心痛みます。

以上歴史フアンでした。




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