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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2210赤松次郎:2012/06/09(土) 11:09:19
無限回廊 第八回 を読んで−2
ところで、創作とはどういう定義があるのだろうか。
 (1)それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
 (2)作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また、その作品。
 (3)事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。

では小説とはどういうものをいうのか
 「散文で作成された虚構の物語として定義される。 内容では、随想や批評、伝記、史書と
?? 対立するものであり、形式としては詩と対立するものである」とある。

私はいろいろの小説仕立ての文を読むが、作者の描く筋や内容にたいして素直に受け取れる
ものと、そうでないものもあるのはどうしてだろうと考える。それは作者の創作に込める意
図の軽さ深さや目的に関わるようでもある。よく新聞種になっている奇っ怪な事件や回りの
友人・知人の普通ではない生き様を下敷きにして創作を装うか、あるいは事実をなぞるとい
う安易な書き方で済した物語がある。しかし、創作力や考察力や表現力が不足すれば、とっ
てつけたような−どこからか借りてきたような感じがいつまでも残ってしまって、真実味が
ないように感じるときがある。むしろ全くの架空の物語の方が、読者は架空と認識しながら
物事の本質を突いているように思われ、共感する場合がある。

事実に基づきながらも真実とは思えず、嘘くさいと感じるものもある一方、とてもありそう
もない空想のなかに真実を見ることだってあるのはどうしてだろう。ただ表現力の問題ばか
りではないはず。そこには普遍的な価値観が感じられ、真理を追究するひたむきさがあるか
どうか、共感できるかどうかの問題だと思われる。かたや読者に衒ってうまいと言わせる魂
胆が見え隠れしたりしないか、言ってみれば嘘くささを感じさせないかどうか。
自信のなさに舞台裏を晒して、これは真実ですよといったところで恥の上塗りをするばかり
である。全くの虚構であることから始めるか、それとも事実であることから始めるかは受け
取る側の感覚次第に頼る他はないのだろうか。
ところで作者は虚構の作品のなかに、いままで幼少の頃より見つめてきた大人の嘘や虚栄や
愚かさやそれに振り回される滑稽さをつぶさに見つめ、物事の真実を探し求めて止まない姿
勢が、虚構という世界で返って真実に迫るといった作品を作る才能に恵まれているようだ。
人になる前の、「むげん君はいつから「自分」になったのか」の猿人の姿でアイスクリーム
をしっかり握った写真や、私の愛しいジュースにうっとりとしている写真からそれが読み取
れるようだ。         おわり

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