したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2094有志:2012/03/26(月) 11:21:11
青春のあの日#8
「青春の汗の臭い」       本告 尚幹

今回の「肥と筑」に櫛田宮、及びその宮司の家系として、本告姓と牟田姓が登場しました。
本告家は建長元年(西暦1249)年、鎌倉幕府から正式の命を受け櫛田宮の宮司に補任されたという家系ですが、元寇の頃からは武家へと変容し、宮司職はその分家の牟田家に譲ったそうです。「青春のあの日」の#39の牟田元明さんは、偶然にも、この櫛田宮の宮司職を受け継いだ牟田家の方でした。
同じく櫛田宮からの連想で、#8の本告尚幹さんを思い出しました。本告姓は昔から続く由緒正しい姓氏であり、何処にでも有る苗字ではありませんから、この方もまた、櫛田宮にまつわる方だと思います。その勢いでもう一度「青春のあの日」を開いてみました。

どうやら剣道を幼い頃から嗜まわれていたようです。剣術と神社との関係はよくわかりませんが、本告氏が武家の方向へ進んだのなら、剣術とは繋がりがあるのかもしれません。在校中には華々しい活躍はなかったようですが、やはり熱を入れた分何らかの形でその後の生き方に影響したのでしょう。練習後のうどんに饅頭、その景色はよく想像できます。大学周辺と同程度とまではいわなくとも、高校の周辺にはそれなりの食べ物屋があるものです。2年の時に3人の女子が剣道部が始まって以来の初入部、部室が綺麗になったと書いてある箇所では思わずニヤリ。想像ですが、嬉しい一方、やはり女子は不要だ、その両方の気持ちを持った男子部員もいたのかもしれません。これは差別の問題とは異なります。

ホテルマン、櫛田宮に関係あろうとなかろうと今の時代は自由です。映画少年であった牟田さんも自由のおかげ、“あの日”の佐高には、この自由の空気がみなぎっていたように思えました。

注)表題横の#数字は、掲示板掲載リンク先「青春のあの日」に掲載され
ているリスト(同窓生寄稿)の該当作品の通し番号です。






掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板