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2092万理久利:2012/03/25(日) 13:28:31
「肥と筑 第二十回」評の3
壇ノ浦で沈んだという神劔
三種の器の一つ。他の玉も鏡も現代においてどんな意味かあるのだろうかと
少し思います。形代と本体について、これも現代科学の力を持ってすれば製
造年代、おおまかな製造地等の“物のDNA鑑定”は可能なはずで、宮内庁、
文科省?管轄は不明ですが、果たして行ったのだろうかなどと考えてしまい
ます。

三種の器は連綿と続く皇室の証、天皇は象徴とされたけれど、この三種の器
も皇族であることの象徴なのでしょう。格式のある家に生まれたわけではな
いので、そのあたりどうでもいいではないか、とつい思ってしまうのも事実
です。ともかく源平合戦の頃は権力、地位を虎視眈々と狙う人間には重要な
ものであったに違い在りません。 劔が当時熱田神宮にあったとして、安徳
天皇のものが偽物だったとしても、問題は安徳天皇そのものだったと思いま
す。壇ノ浦で例え偽物でも共に沈んだ、こんな話が悲劇、哀れを感じさせら
れ好まれるのでしょう。
それでもも一つの仮説、安徳天皇は小舟に乗ってくるめの豪族藤吉種継を頼
り、その後荒木村白口で28歳まで生き延びという説もなかなか興味深いも
のがあります。

唐突ですが、「なんでも探偵団」という番組に三種の器のうち一つでもまた
は三つ揃いで出したら、値段はつくのでしょうか。いつもの鑑定士も、さす
がに本物かどうかはわかりますまい。まずは出品禁止コードにひっかかるの
でしょう。不謹慎な発想でした。


平家の盛衰と厳島神社について
平家と近畿そして九州の地が縁深いものであったことを改めて感じます。
NHK大河も重なりました。日宋貿易の始祖が清盛だったことも記憶の底に埋
もれ、驚いている始末です。厳島神社も、兵庫の大和田泊も、櫛田宮もみな
海運でつながり、祭神でつながるという事実、その奥にあの徐福の存在もあ
る。神器の歴史を天照大神に遡るとすれば、徐福、渡来文化の影響も受けた
のではないでしょうか。三の拘りは徐福が表向き渡来した三つの宝を探しに
きたことにあるようです。底筒、中筒、上筒三柱の神様を祭る海神族ゆかり
の元住吉神社の話も徐福との関係を感じてしまいます。

清盛は日宋貿易を大いに推進しながら、鉄を利用する武器への関心、準備は
しなかったのかと思いました。清盛について知識が薄のでよくわかりません
が、彼は武器より文化の交流、経済の発達そちらの方に関心があったのでし
ょうか。そして当時の東の源側には、徐福の力(知識)は及んでいたのでし
ょうか。気になるところです。


筑後川下流域に特有な地名、牟田と古賀
著者お得意の文献と文字のヨミからその由来を説き明かしています。
私の両親も有明に近い場所出身、姓もなるほどの名前です。ともに海神族の
ようです。そこにもまた徐福の影が。渡来したとき船上からみたのが広々と
した豊かな平野、陸、クガ、コガ、お見事です。牟田は湿地を表すといいま
すから幼い頃みたあの蓮根畑となぜか繫がります。
年を重ねると、以前気にもならなかった自分のルーツのようなもにも関心が
向くようになりました。これまで生きたそれなりの総決算と次なる人生への
準備なのかもしれません。ムツゴロウと右船漕ぎの共通性が長江にあること
も、人と文化の流れを感じさせる話でした。
   了
3004






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