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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

2090有志:2012/03/24(土) 13:25:34
青春のあの日#01
「甲子園よ今一度」    八谷 公男

はつらつとした選手宣誓を見せてくれた石巻工は残念ながら1回戦で負けてしまいましたが、その試合っぷりも同じくはつらつと、最後まで粘り強さがありました。
古野さんの神宮早慶戦観戦、佐高甲子園出場の際、慶大応援部の指導も受けたことを思い出しながらあの頃に自然と気持ちも体も戻っていく、そんなお話を読んだ後、野球部の方を探しましたら、いました。リストNo.1 背番号はなんばんだったのだろうかと、つい想像しました。

今から53年前?佐高野球部員として、当時29年振りの甲子園出場を果たし、翌年は善戦したものの鹿島高に敗れ代表にはなれなかったこと等、文中に公立高校の名前がたくさんあがってきますが、当時は全国的にそんな傾向にあったのでしょうか。近年の甲子園の顔ぶれは私立高校がずらり、優勝となればますます野球有名私立高校ばかりが目立ちます。私立校は練習体制が整っており、授業、試験などについても融通がきき、もちろん用具も設備環境も公立と比べ潤っていると思われます。当時は今ほど私立校とのハンディはなかったかと想像しますが、著者が書いているように、佐高野球部は、居眠りも内職も見逃してくれるおおらかな校風が、練習する時間を作ってくれ、応援してくれる廻りの仲間たちの力もあって、ハンディキャップをはねのけたのでしょう。

それから数十年後、兄弟校?佐賀北校が奇蹟の夏の優勝を果たし、佐高(西)のみなさんはさぞや狂喜したことかと思います。連綿と続く佐高球児魂がむくむくと花開いた優勝だったのだと思います。球児にとって甲子園がどれだけあこがれの場所、そしてとりまく人にとっても、自分達の夢をかける場所なのではないでしょうか。
野球狂になった分だけ、その思い出が以後の生き方に少なからずの影響を与えているような気がしました。野球だけでは無く、当時没頭したいろんな狂です。






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