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2023万理久利:2012/02/24(金) 16:48:51
ドゥニ・ディドロ著「聾唖者書簡」
先日のgruene Maskeさんの寄稿を見て、ああ私にはこんな表現はできないなあと
しみじみ思ったものでした。そんな時にたまたま目にしたのがディドロの「聾唖
者書簡」です。私にはその「しみじみ」の中味を言葉で表すことはできないので
すが、彼の文章を読んでいて少し、繋がるものがあるような気がしました。長い
引用となりますが、自分の表現不足のところをディドロ氏に托しての以下引用です。

「詩人の言葉の内には、その言葉の全ての音節を動かし、それらに生命を与える
或る精気が、その時(最高度に詩が詩として優れたものになった時)出現する。
この精気とは何か。私は時々その精気の現在(現に至ること)を感じたことがある。

しかし私がその精気について知っていることの全ては、その精気こそが諸々の事物
か、全く同時に一度に、(言葉で、音で)語られると共に、(視覚的イメージとして)
再現される、ということを成すものである、ということであり、またその精気こそ
が、知性がそれらの諸々の事物を把握すると全く同時に、魂がそれらに動かされて
感動し、想像力がそれらを見、耳がそれらを聞く、ということを成すものである、
ということであり、更にまた、その精気こそが、言葉がもはや単に、力強く上品に
思想を表明するエネルギッシュに言葉の連なりであるだけでなくて、その上に更に、
その思想を描く、相互に積み重なったイエログリフの織物(織りなす全体)となる、
ということを成すものである、ということである」






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