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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

1919赤松次郎:2011/12/18(日) 10:13:41
「あした天気になーれ」第五回の評のお礼
 ◆批評について
読者が作品について感想や批評を述べるのに色々の方法があるだろう。wikipediaによると
「批評(英語・フランス語:critique)とは、ある事象を、できるだけ無前提の思い込みを
排するかたちで判断することである」とある。
さらに詳しく述べると

★概念(concept)・理論(theory)・研究の方法論や原理(discipline)、あるいはそれ
 らを用いた具体的な分析手段(approach)などについての諸条件や因果関係に対して、
 体系的な問いを立てること。
★またそうした概念・理論・方法論・分析手段の限界や妥当性を理解しようと努めること。
★このような現代的意味におけるcritical(批判的・批評的)なアプローチと対立する思
 考法を「ドグマ的アプローチ」、すなわち「独善的に決められた法則を、決して疑わな
 いような思考法」と呼ぶ。
★critique は、美学あるいは文学理論においても用いられる。そこでの critique とは、
 主に詩、絵画、遊びなどの「作品批評」を意味する。この場合、「批評」とはより幅を
 広く取って、「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality )についてのあらゆる議
 論」を指すことになる。

しかし作品を研究や教材の目的のように必要以上に切り刻んで分析したり、作者の個人的な
感情や心理状態を私情に当てはめてしつこく憶測したり、製作に関わる舞台裏を暴露したり
(自ら手品の種明かしをネタにした芸)などがはたして、ささやかな個人の作品の評といえ
るのかどうか疑問である。小林秀雄の評論集をよく読むが、そんなに細々と分析することも
なく文化論なんぞを引き合いに出しながら肝心な要点を的確に述べている。これは小林秀雄
の独特のスタイルで、誰でもがまねの出来ないことなのだろうが。私もあまり細部に囚われ
ないで、批評の要点をつかむように心がけたいと思っている。


 ◆物語について
この頃西脇順三郎の「詩学」という本を読んでいる。そのなかには「芸術表現の原理を新し
い関係を創作することによって人間の自然法則と現実をより深く感じさせるという価値を
持っている。その新しい関係が、なにかしら永遠という神秘的な意識を象徴し、なにかしら
哀愁を人間に感じさせなければ、それはすぐれたポエジイではないと思う。
ポエジーは精神と肉体との対立の上に立っている。この見地からすればポエジイは無限と有
限との結合の上に立っている。精神を認めると同時に肉体も認めなければならない。ポエ
ジイは非常に肉体的でなければならないと同時に非常に精神的でなければならない。ポエ
ジイは「アイロニー」であり、矛盾である」と言っている。

アイロニーか、そういえば止揚という哲学用語があった。wikipediaによると、
「ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二
様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いもの
が否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いもの
が持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が
登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発
展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。
国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは
異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある」。

ポエジイは「アイロニー」という意味は、現実の世界と絶対世界の対立、矛盾の狭間で苦悩
しながら遂には最も価値あるものに昇華されると言うことか。

また「詩学」のなかで、「ピカソは「芸術というものは自然と違ったものだから、同じもの
になり得ない。芸術によってわれわれは自然でないものの観念を表現するのだ」、また「私
の場合は一つの作品は破壊の合計である」ともいっている。もちろん破壊されたことだけで
も一つの新しい関係を結ぶことになるが、それだけではすぐれたポエジイではないだろう。
その新しい関係が、なにかしら永遠という神秘的な意識を象徴し、なにかしら哀愁を人間に
感じさせなければ、それはすぐれたポエジイではないと思う。
ポエジイが創作する思考は非現実(イレエール)ではあるが、そうした方法でなければ「永
遠」といったような神秘的意識やあの分析の出来ない哀愁という現実にふれることは出来な
い。ポエジイは感じることであって、理解するものではない。
詩作の目的は超自然または超現実の世界を創作することによってポエジイを人間に感じさせ
ることである」。

私の場合はこの超現実的創作に従えば、単に自然を写実するだけの具象画に興味を見いだせ
ない自分がある。すなわち現代日本画や細密の写実画などの見られる、ただ物体の再現を目
指すもののなかに「アイロニー」や「シュール」さや「現実でない神秘的意識」「哀愁」と
いったポエジイを表現していないとみえるからだ。
われわれが目指すオキシモーランの目的は、「現実の世界」と「想念の世界」の鬩ぎ合いの
なかで、理性では感じられない情感を表現することにあると思った。
さて、これが皆さんの感想にたいしてのお礼になっていないことは充分承知している。物語
はまだ進行していることであり、纏まった感想を期待すること自体がもってのほかである
が、読者が人物のイメージや感情や考え方に対しての描写に異論や共感を表明されることは
作者としてはうれしいものがある。そして、その考察によって次の物語の展開に反映したい
アイデアも多く含まれていることもまたありがたいことである。

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