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肥と筑 第十八回 Maskeさんと赤松さんの評への答え
またまた家庭の事情で、評への答えが遅くなりました。
取り敢えず、Gruene Maskeさんと赤松さんのお二人に答えましょう。
◆Gruene Maskeさん
★天孫族と出雲族が二つに別れていて、同族と見られていない理由
「兄弟姉妹は相貌も性格もそれぞれである。兄弟姉妹は父母両親から同じ遺伝子を同じ割
合で引き継いだものではないからであろう」に対して
確かに、兄弟姉妹でも両親から受け継ぐ遺伝子の働き方は必ずしも一律では無いのですが、
ただそれだけでは説明しきれない次のような逸話が残っています。
それは、スサノヲが、アマテラスの国に上ってきたときの事です。この姉弟は、互いの真
心を証明するために、相手の持ち物(アマテラスの勾玉・玉とスサノヲの劔)を譲り受けて
これをかみ砕いて霧状に吐きだすという方法で子供達を生みましたが、生まれた子供達は、
持ち物の本来の持ち主に所属するとされました。
この逸話は、この両者がお互いに同族に近い部族とはいっても、通婚可能ないわゆる対婚
関係にある、異なる部族に属していたことを証明しているようにも思えるのです。
★赤松子について
「神農炎帝を検索して辿り着いた人物「赤松子」なる雨師は、赤松次郎氏の先祖であり、
それ故、その分身たるカラマツ・ジローが、全国の天気を占うサイトを立ち上げようと
している」に対して
雨師の子孫が、天気占いのサイトを立ち上げる、とは非常に面白い発想だと思いました。
脱帽します。
◆赤松さん
私の読書量は仰有るほど大層な物ではありません。蔵書も記紀と中国の史書が中心です。
ただ、買ってきた書物の積ん読期間は、物によっては二、三十年前のvintageものを我が家で
発掘することがあるので、これだけは赤松さんを上回って(???)います。
当然、我が家では同じ本が2冊、場合によっては3冊見つかることも珍しくありません。
このように、書籍に関しては、かなり無駄な買い物をしています。
以下、赤松さんの疑問についての私の考えを述べてみます。
★疑問の1:遺伝子による検証について
これについては、専門家が幾つか検証しています。
例えば、次の[日本人−Wikipedia]をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#.E3.80.8C.E5.80.AD.E6.97.8F.E3.80.8D.E8.AB.96
遺伝子による検証については、学者によって色々な説が唱えられていますが、いまだ定説と
言えるほどの決定版は出ていないようです。
私にとって、この[日本人−Wikipedia]の文中で非常に興味深かったのは、次の箇所です。
[中国の山東省の臨淄(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析では、
春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集
団は中央アジア集団のクラスターに入るものであった。]
これと直接の関係はありませんが、第二次大戦の末期にソ連軍が中立条約を破って攻撃を
仕掛けた挙句、シベリアに抑留した帝国軍人の血液を検査したことがあったといいます。
その当時はDNA鑑定などは無かったので、血液型の分布を調べたのでしょう。その結果が
発表されていないのは、ソ連政府に取っては好ましくない結果が得られたのでしょうね。
さて、山東省の臨淄(りんし)にいたトルコ人集団が何を意味するか考えてみましょう。
山東省の臨淄とは、徐福船団の出港地と目される琅琊と同じ斉州の都市ですが、琅琊と臨淄
の間の距離は、100km余りという近さです。
この琅琊は、西暦前5世紀の春秋時代に越王勾践が呉王夫差を破った勢いを駆って北上し
ついにはそこに遷都した場所で、徐方の中心地の徐州とも200km以下の距離です。
トルコ族出身の周王と同族である呉王の[余]姓と[徐]姓が通じることは今まで詳しく
論証して来ました。さらに、徐福の姓である[徐]は、国語の鄭語注によると、赤狄の隗姓
つまりトルコ族に属するとされます。徐方の[徐]姓は、元もと琅琊・臨淄の近くに住んで
いたのですが、越に敗れた呉王の残党の[余]姓も、越の琅琊遷都に伴ない北方の斉州へと
移住してきた筈です。
つまり、春秋戦国時代の臨淄に住んでいたトルコ人集団は、徐方の[徐]姓か呉王の残党
の[余]姓であった可能性が高いのです。
このことは[徐福船団の渡来により、トルコ族のタタラ製鉄技術が我が国にもたらされた]
という私の主張を補強してくれる有力な材料となっているのです。
★疑問の2:骨相学などの身体的特徴による検証について
これについては、縄文人・弥生人の特徴として短頭・長頭などの解析がなされています。
しかし、身体的特徴は生活習慣でも変わるという意見もあって、この方法が決め手とまでは
言えないようです。
★疑問の3:種々の年代測定法について
これは、重要かつ信頼の置ける方法だと思います。
年代の推定には、この方法の他にも、文字標記を伴った埋蔵品の存在も無視できません。
★私が、文字史料に頼って来た理由
赤松さんが挙げられた方法は、いずれも高度な専門的知識・装備を必要とするものであり
単なる個人としては、これらについての最新知識を手に入れることは、かなり困難ですが、
出来るだけこれらの知見にも触覚を伸ばし、必要な知識を得たいと思っています。
今までのように、直ぐに入手できる文字史料に頼る方法でも、先人が気づかなかった点は
まだまだ残っていると思うので、取り敢えずはこの方法で進んで見ようと思っています。
つづく
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