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1772長岡曉生:2011/10/08(土) 03:34:55
肥と筑 第十八回 評の1(万理さん)への答え
★本の並べ方
中国のいわゆる正史については時代別に、それ以外については国別・民族別に並べています。

★今回は出雲とトルコ、そして肥(佐賀)に繋げる
今回は表だっては出て来ない出雲族は、赤狄トルコ族出身の徐福が率いる船団が格となった
集団であり、その徐福船団の主力が肥前の佐賀に上陸した伝説をもとに、出雲・トルコ・肥
の三者の関係について、従来の説明をより強固にしました。
次回は、肥前の神崎と出雲族の関係・出雲と紀州の熊野大社について述べる予定です。
これらは、9月下旬の出雲旅行および11期生からのある示唆によって、知見を得ましたが
いずれも、予測もしなかった不思議な縁によって、もたらされたものでした。

★飯豊皇女、豊御食炊屋姫尊、豊受姫に呼ばれて出雲に出かけたのか
なるほど、そうかも知れません。この三人の姫の名前には全て[豊]が付いていますが、
佐賀の嘉瀬川の上流、川上に鎮座する肥前一宮の與止日女(淀姫)神社の祭神は、山幸彦と
結婚した豊玉姫です。因みに、肥前国風土記逸文では、この與止日女(淀姫)神社の祭神を
一名豊姫、一名淀姫としています。
さらに、この豊玉姫の孫が、後に神武天皇となった豊御毛沼(とよみけぬ)の命です。
つまり、肥前一宮ゆかりの豊玉姫・豊御毛沼(とよみけぬ)の命にも[豊]が付いています。
不思議な暗合として、西暦三世紀ヤマタイ国のヒミコの後継と成った女王は、トヨでしたが
何となく、飯豊皇女・豊御食炊屋姫尊・豊受姫との関係が窺われる立場の女性ですね。
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