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1501長岡曉生:2011/07/02(土) 23:49:14
「歴史上から、ジョン万次郎は小村寿太郎と鳩山和夫の東京大学教授?」:評の2
◆碇さんのお尋ねについて解った結果その2
参考にしたのは、今日土浦中央図書館で借りてきた次の取り寄せ本です。
  永国淳哉編「ジョン万次郎のすべて」 新人物往来社
★巻末の年表から
・明治3年(1870年)2月
 万次郎が、開成学校の中博士(教授)に昇進。
 この後、8月28日(新暦9月24日)に、普仏戦争視察団の通訳として横浜を出帆する
 まで開成学校で教えていたと思って良さそうです。
 旅の途中のロンドンでリュウマチを患ったために、11月に視察団員と分れて米国経由で
 東京に帰着したのが、翌明治4年3月下旬です。
 間もなく脳溢血で倒れ、隠居に近い生活に入るとあったので、万次郎の教授の勤務期間は
 明治3年8月で終わっているでしょう。

★万次郎が、和夫と寿太郎に教えたとすれば、どんな内容だったか
 青年万次郎の米国での最終学歴は、ボストンにはほど近いフェアヘブンの航海学専門学校
バートレット・アカデミーでのものでした。ここで学習したことは、高等数学・航海術・測
量術・捕鯨法などです。
航海術の本に、万次郎がバートレット・アカデミーに入学した年に発行され世界の遠洋航海
者達のバイブルとされたナサニエル・ボーディッチの航海術書「新アメリカ実用航海術」が
ありますが、万次郎が帰国の際に持ち帰った本の中には、この本が含まれて居ます。
帰国の十年後、万次郎は咸臨丸の太平洋横断に同行するに際し、この本を急ぎ和訳しました。
この訳は、ただの逐語訳ではなく、咸臨丸の予想航路についての計算も例示しています。
つまり、万次郎が主として学んだのはどちらかと言えば理系の学問です。
 一方、和夫と寿太郎はその後の学歴から見て二人とも法学なので、二人が万次郎から主に
学んだのは、語学だったに違い有りません。
万次郎は米語の発音を実情に即してカナ書きで表示する事が巧みだったため、二人が彼から
会話を習ったとすれば、留学先で随分役に立ったことでしょう。

◆評
さて、評に入りましょう。
といっても、全般的な評について、すでに赤松さんと万理さんとで尽くされていると思うの
で、私の実感を少しだけ述べます。
★松平春嶽
この人は、御三卿の出でありながら単なるお坊ちゃんに止まらず、幕末から明治に掛けての
重要な役割を受け持っています。中でも彼が大学校の別当まで勤めたとは知りませんでした。

★和夫と寿太郎と万次郎
「この三人に接点がありそうだ」という碇さんの目の付け所は非常に斬新で、好奇心をそそ
る物ですが、なかなか気がつくものではありません。正に眼から鱗でした。
和夫が学んだコロンビア大学とイエール大学、寿太郎の学んだハーバード大学は、いずれも
ニューイングランドにあるので、万次郎が学んだバートレット・アカデミーのフェアヘブン
とも文化や言葉を共有する場所だったことでしょう。そういう意味でも、和夫と寿太郎とは
彼らの留学に先立ち、万次郎から現地の色々な情報を教えて貰ったと思います。
それにしても、万次郎が貧乏な漁師の家に生まれながら、漂流の果てに異国へ渡りその地で
現地人の間で抜きんでた成績を上げた事は、驚嘆に値します。
「激動の時代が、万次郎のような人物を生み、育ててくれた」としか言えません。

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