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☆☆☆☆☆ 同 人 α ☆☆☆☆☆ - ニューロン・カフェ

1306異風者:2011/04/21(木) 23:16:01
三点セット講評有り難う
 季節は初鰹へと動いています。いま狭山丘陵里山の雑木の森若々しい緑に満ち満ちています。この度我が拙き小文「三点セット」にたいし講評いただきおそれいります。それぞれ評者、諸嬢、諸兄の人生が繁栄されているような思いがします。人それぞれですからとやかくいうことはありません。
 さて講評にもあったことで私の感想というか思いを、
 まず鉄、アナトリアのヒッタイト帝国最初の鉄器使用者であることはまちがいないようです。そもそもの最初は隕鉄を使用したようですが最近の考古学的発掘によるとかなり古くから鉄鉱石による製鉄がおこなわれていたようです。これと現代のトルコ民族とはなんら関係ありません。アルタイのトルコ民族の祖先「高車」という部族「柔然」に隷属していましたが鍛奴といわれていました。これは「柔然」に鉄製品(主は武器)を貢納していたためです。おそらくアルタイの鉄鉱石より製鉄をする技術を有していたのでしょう。「古代遊牧帝国」(護 雅夫)参照ください
 チャイについてこの習慣が定着したのは恐れ玖オスマン帝国後期であろうとおもいます。そもそも紅茶発生したのは清帝国になってからです。
 コーヒの起源について、ある経験、記憶定かでないところもありますが、クウェートよりオマーンへの飛行機のなかでなにやら煎じ薬のような飲み物が出たことがあります。そのときはお茶の一種かと思いましたがお茶にしては少し異なる味と思いました。(カップは取っ手なし・・・日本の湯のみ状)飛行機より降りてよくよく考えるとあれはコーヒであるとわかりました。薄いコーヒ色をしていました。そのあと湾岸諸国、あるいはサウディアラビアなどにいってもあのような飲み物には出会いませんでしのた。トルコのコーヒは挽いた一人前のコーヒ豆と砂糖を小さいルツボじょうの入れ煮出すもの。それをこぶりのコーヒカップ(エスップレッソコーヒカップくらいか少し小さい)にいれてその上澄みを飲むものです。カップに残ったコーヒの滓の様態でいろいろ占いなどがあるようです。
そんなところが講評を読んで本文で書きたり無かったところを捕捉したものです。




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