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福島県の一部の城跡についての情報

1いちご:2024/05/20(月) 11:15:17
はじめまして。
私は福島県県南部に住む者です。
私自身が歴史が好きでいろいろと調べたり聞いたりしますが、このHPと記載が異なる、もしくは違う話を知っているので情報としてお伝えしようかなと。
①福島県矢吹町小鳥遊舘
このHPで小鳥遊舘は本当は本城舘だったのではないかと推測されている理由に三城目地区と本城舘地区の境ということをあげられていますが、それはないと思います。三城目の地区名の由来は3つの城があったことが由来で、小鳥遊舘の他に本城舘があります。またすぐには思い出しませんが、もう1つの城があり、それが地名の由来です。さらに三城目地区は元々は東山道の宿場町の可能性が高いです。ついでに地名の由来になった城以外にもあるようです。三城目地区には「城見寺」という寺も無住ながらあり、檀家もいるようです。三城目地区は幕末に棚倉藩関係の人がいたとも聞きます。詳細は不明ですが、棚倉藩に何かを売ったかしていて、その縁で家族を戊辰戦争から逃すのに三城目に連れてきたとかとは聞きます。
またあの一帯は台風19号での被害が大きく、遊水地もできるため、もし遺構があるようないわゆる埋蔵文化財でも残らない可能性はあります。
あ、小鳥遊舘だけならば地元の方が「研究者が来て、道具を使って測量していた」って言っていたのです。あそこは地元民ならば小鳥遊舘の1番上まで登ることがあるそうですが、途中までは軽トラで行けても、途中からは徒歩で30分くらいかかるそうです。あと以前に農耕地から古い陶器のかけらなどが出て多少は発掘調査をしているようです。
②福島県玉川村高御城
この城跡に住む人の多くは「溝井」という姓の人で、溝井氏というのは石川氏の家老職で、石川氏を伊達氏に渡すために三芦城で切腹しています。その子孫は福島県須賀川市、玉川村、石川町にわざと別れて住んだと言われていて、高御城に住むのも「溝井」さんなんですよ。しかも玉川村小高地区って北畷、南畷、稲荷畷とかいう地名があり、畷門が地名の由来のようです。この高御城だけに関して言えば、思うより広い範囲だったのではないかと思うくらいの構造に小高地区の一部がなっています。

私が知るのはそれくらいですが、あそこの福島県矢吹町三神地区(三城目地区を含む小学校区)と玉川村小高地区のあたりというのは、南北朝時代の言い伝えなんかもあったり、河童とやりとりした言い伝えがある家があったりと、もしかしたら地区の形成がかなり早くからされたところかもしれないというのと、きちんと調べればおもしろい地区なのかもしれないとは思います。

※私もそこらへんには仕事で行って興味があるだけで、住民ではないですが、住民には歴史が好きな人がいていろいろ教えてくれたりします。小鳥遊舘ではびっくりするくらい大きい白菜をもらい、教えてもらえました。もちろんこういう住民ばかりではないでしょうが、フレンドリーな方が多かったです。

7余湖:2024/05/29(水) 04:17:26
高御城の城主を小高氏としているのは『城郭大系』で、それも確定的な言い方をしているわけではなかったので、推定と言うことなのかもしれません。
周辺に溝井姓が多いということから、溝井氏が城主であった可能性も高いと思われますが、現段階ではこちらも推定問いことになるかと思います。
城主周辺に多い姓が、城主ではなく、城主の退去後にその土地の管理を任されていた家臣の一族であったという例もあります。
いずれ、今後何かの手掛かりが出てきたら、確実なことが言えるようになるかもしれません。

8いちご:2024/08/29(木) 18:45:18
>>7
お久しぶりです。

私、あの後に三城目地区に行くことができ、地区の方に矢吹町が発行元?みたいな遺跡についての地図を見せていただきました。
その地図ではやはり小鳥遊舘と別に本城舘が存在していて、本城舘は小鳥遊舘とあぶくま高原道路に挟まれたあたりに存在している旨の記載がありました。
そこで確認をしに行くつもりでしたが、現地は熊が出没しているようで、小鳥遊舘付近でも目撃情報があるようで地区住民に止められました。
なので実際のところは確認できませんでした。
また古舘と呼ばれる舘跡はやはり遊水地に沈む可能性があるそうで、地区の方に陣ヶ丘舘も沈む可能性を指摘されました。
また陣ヶ丘舘跡付近には旧石器時代の遺跡もあるようですが、こちらも熊が出没する上に採石をしていたようで落石とかの危険もあり近づける場所ではなかったです。

高御城についてはちょっと伝手があり、溝井氏が行き着いた経緯などは知ることができたのですが、溝井氏が住み始めたのは豊臣秀吉の奥州仕置きで溝井氏先祖が三芦城内で石川氏を仙台に逃して、その責任をとり城内で切腹し、その子孫を福島県石川町、玉川村小高字東耕地、須賀川市雨田に帰農して住まわせたことに始まるようです。
高御城は玉川村小高字東耕地が住所地ではあるようなので、そこに溝井姓の人間がたまたま住んでいても、はたまた先祖代々住んでいてもおかしくないようです。
高御城の奥に溝井さんというお宅があり、その先に少し遺構?があるようです。
ただ小高地区にはたくさん溝井姓の方がいらっしゃって、私はたまたま知り合った方が(高)御城の分家の方で教えていただきましたが、地区の方でも、さらに溝井姓の方でも本当にそこが城跡とは知らない方がほとんどでした。
ただ小高地区には畷(なわて)門が由来の住所があったり、地名は城があったことには矛盾しませんでした。

小鳥遊舘にしても高御城にしても石川氏関連のものであるということ以外は大して成果らしい成果はなかったですが、この夏に久しぶりに現地に行ってきたので、書きこみをさせていただきます

9いちご:2024/08/29(木) 18:45:38
>>7
お久しぶりです。

私、あの後に三城目地区に行くことができ、地区の方に矢吹町が発行元?みたいな遺跡についての地図を見せていただきました。
その地図ではやはり小鳥遊舘と別に本城舘が存在していて、本城舘は小鳥遊舘とあぶくま高原道路に挟まれたあたりに存在している旨の記載がありました。
そこで確認をしに行くつもりでしたが、現地は熊が出没しているようで、小鳥遊舘付近でも目撃情報があるようで地区住民に止められました。
なので実際のところは確認できませんでした。
また古舘と呼ばれる舘跡はやはり遊水地に沈む可能性があるそうで、地区の方に陣ヶ丘舘も沈む可能性を指摘されました。
また陣ヶ丘舘跡付近には旧石器時代の遺跡もあるようですが、こちらも熊が出没する上に採石をしていたようで落石とかの危険もあり近づける場所ではなかったです。

高御城についてはちょっと伝手があり、溝井氏が行き着いた経緯などは知ることができたのですが、溝井氏が住み始めたのは豊臣秀吉の奥州仕置きで溝井氏先祖が三芦城内で石川氏を仙台に逃して、その責任をとり城内で切腹し、その子孫を福島県石川町、玉川村小高字東耕地、須賀川市雨田に帰農して住まわせたことに始まるようです。
高御城は玉川村小高字東耕地が住所地ではあるようなので、そこに溝井姓の人間がたまたま住んでいても、はたまた先祖代々住んでいてもおかしくないようです。
高御城の奥に溝井さんというお宅があり、その先に少し遺構?があるようです。
ただ小高地区にはたくさん溝井姓の方がいらっしゃって、私はたまたま知り合った方が(高)御城の分家の方で教えていただきましたが、地区の方でも、さらに溝井姓の方でも本当にそこが城跡とは知らない方がほとんどでした。
ただ小高地区には畷(なわて)門が由来の住所があったり、地名は城があったことには矛盾しませんでした。

小鳥遊舘にしても高御城にしても石川氏関連のものであるということ以外は大して成果らしい成果はなかったですが、この夏に久しぶりに現地に行ってきたので、書きこみをさせていただきます

10いちご:2024/08/29(木) 19:26:10
>>9
すみません、先ほど二重の投稿になってしまいました。

ここまで書いて、私がこの地区を何度も再訪している理由を書いていないことに気がつき、不審者と誤解されないためにも書き加えようと思います。
私の先祖は戊辰戦争で矢吹町三城目地区に来たのではないか?と言われているためで、一時的な滞在しかしていないはずですが、この地区に私の先祖の足跡を探してきています。
先祖自体は幕府側の身分の低い武士ですが、ネットで名前が検索すると出てくるような有名な隊にいました。
先祖の足跡を辿り埼玉県行田市忍城から始まり福島県白河市小峰城、福島県棚倉町棚倉城周辺へとこの足跡巡りは始まりました。
三城目地区は元々宿場町であり、棚倉藩に馬を売っていた地区のようでなんとなく足跡が見つかるかもしれないと三城目地区のお寺などを含めて見学させていただいています。
私の先祖の足跡はたぶん見つからない気がしますが、なんとなく遺跡を巡るのが楽しくなってついつい再訪してしまいます。
三城目地区は結城氏家臣団だった方が戊辰戦争に応援に行った記録が残されていたり、かなりおもしろい地区なのです。
私はいわゆる歴史関係の大学とか卒業しているわけでなく、今は病院で奴隷のように働いている人間で福島県とは縁もゆかりないので趣味でこの再訪を繰り返しています。
また実は今、病気をしていていつまでこの再訪ができるかわからないというのも事実です。
私の先祖は戊辰戦争の傷が原因で早くに亡くなったと聞いていて、なんだか親近感がわいたのです。
まぁまだ死ぬ気はないですが、AYA世代のガン闘病はとても辛いです。
矢吹町の果てだし、福島県石川郡玉川村とのつながり大きく、何かと行政に捨てられる地区だと三城目地区の方に聞きました。
なんかそんな話を聞くたびに三城目地区に行きたくなります。
ガン闘病で荒れた心を鎮めてくれるかのようです。
なんか地元の方は優しく穏やかで、私もああいう歳の取り方をしたいと思ってしまいます。
これが私があの地区に何度も行ってしまう理由な気はします。

11余湖:2024/09/01(日) 03:59:25
詳しい解説、ありがとうございます。


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