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福島県の一部の城跡についての情報

4いちご:2024/05/23(木) 20:44:41
>>3
高御城については詳細は不明ですが、間違いなくそこに住まれている方は「溝井姓」ですね。
またたしかに小高地区ではあるので小高氏が地区名の由来でしょうが、小高氏も溝井氏も石川氏関係なので、何かがある可能性高いと思われます。
そしてその小高地区の北畷や南畷の地名が畷門由来であったり、地区内をきちんと徒歩で歩いてみるともしかしたら高御城舘と呼ばれている舘はとても広かったのではないかと思われるような地形(要するに舘跡に地区が形成されたような地形)でした。
地区の方が「みじょう」ってそこに住む溝井姓の方を言っていたのは記憶にありますし、あの当たりは総本家とか分家とか分家の分家とか言うような溝井姓の方がいっぱいいました。
溝井姓というのは福島県独特だとも聞いたことがあります。

また小鳥遊舘についてですが、地元の方が「本城舘は近くにあるが別物」と言っていたのが記憶にあり、矢吹町の資料にある三城目地区の5つの舘跡、もしくは隣接する地区の舘跡ではないでしょうか?
そして三城目地区にはあそこらへんの高齢者いわく他にも舘跡?あるいはそれに類する物があるようです。
ただはっきり言えるのは古舘跡はもしかしたら台風19号の後の治水事業の関係で消えるかもしれないですし、古舘跡には石棺が埋まっている可能性がある(古墳を潰して作ったようだと)そうですが、三城目地区を含む三神地区(小学校区)は古墳なども多く、農業の関係で非合法に潰した物も多いと聞きます。
なので矢吹町が確認できている舘跡以外に地区住民が知っている可能性が大きい地区だと思います。
あ、あと三城目地区の城が3つだから三城目というのは真実のようです。
なぜかというと三城目地区には3つの寺院がありますが、1つの城(舘)に1つの寺院だからと言われたことがあります。
三城目地区って1番新しい移住者は明治維新の時の落武者とか言われてるみたいですし、本当に古い地区だと思います。
ちなみに私は矢吹町町史という本を以前に矢吹町図書館で見て、その上で地区を見てきました。

※私自身は三城目地区にも、高御城舘跡の小高地区とも縁がなく、あくまで仕事で行って、興味を持っただけなので、地区住民のように詳しくはないです。ただ小高地区に南北朝時代の何かがあるとも聞いたり、とても古い地区であるのはたしかですね。
※私個人は城や舘よりはある幕末を生きた一族について知りたくて、そのあたりの地区に行くようになったのですが、残念ながらその手がかりはまだ見つかりません。あのあたりの地区には戊辰戦争で借り出されて亡くなった住民(農民)もいたようで、思ったよりも残っているデータ(古文書など)が多いのです。


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