したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

Japanese Medieval History and Literature

7511鈴木小太郎:2022/06/02(木) 14:05:14
林幹弥氏「金沢貞顕と東山太子堂」(その2)
続きです。(p3)

-------
 太子堂の歴代のすべてを知ることはできない。しかし、元亨四年ごろの長老静観房信昭は、「太子堂阿仁上人弟子」(『尊卑分脈』藤原氏、二条流)で、二条教良の息であり、かつ西大寺門徒である(『花園院宸記』元亨四年十一月十九日の条)。彼は貞和三年ごろは西大寺長老であったらしく、そのころ彼に具足戒・大乗戒を受けた湛睿の弟子高湛は、康応年間には速成就院に住し、のち極楽寺に住し、さらに西大寺長老となった(『不二和尚遺稿』)。降って、明応五年十月十三日に三条西実隆を訪ずれた「太子堂(恐らくは長老)」は、「故入道左府息」で「西大寺門徒」である(『実隆公記』同日の条)。また、長禄元年十一月に西大寺長老と決定したのは太子堂の明円房である(『大乗院寺社雑事記』同年十二月四日の条)。このように、太子堂と叡尊さらには西大寺とは非常に深い関係にあった。じじつ西大寺と太子堂とは本寺と末寺という関係にあった(「明徳二年九月西大寺末寺帳」、『鎌倉市史史料編』三所収)。
 このような関係は、叡尊の寂後に西大寺一流すなわち真言律の指導者となった忍性にもみられる。『極楽寺文書』の永仁六年四月の「関東祈禱寺注文案」(『鎌倉市史史料編』三所収)には、西大寺以下三十四ヶ寺の関東祈禱寺が記されている。このなかに速成就院(太子堂)も含まれている。この関東祈禱寺は、忍性が「戒律之陵廃、仏法之衰微、夙夜歎存候之間、抂申行」った(永仁六年五月十一日忍性書状案」、同上所収)ものであり、ここに忍性と太子堂との関係を認めることができよう。すなわち、速成就院(太子堂)は忍性が「抂申行」った結果、鎌倉幕府によって承認された関東祈禱寺の一つであった。
-------

以上、長々と引用してきましたが、私の当面の関心は、「白毫院は金沢貞顕を檀那とする律院」(福島金治氏『金沢北条氏と称名寺』、p253)であるか否かの確認と、仮にそうであれば、白毫院(寺)と金沢北条氏の関係がもう少し前、顕時の時代に遡れないか、についての確認です。
前者については、第三節において、四つの文書の分析を通じて、以下のように論じられています。(p4以下)

-------
 三、金沢貞顕と太子堂

 この太子堂の創立以後数十年を経たと思われるもので、かつ太子堂に関する文書が、金沢文庫の所蔵文書のなかに数点見えている。これを挙げると次の如くである。

(1)「金沢貞時書状」
     下給候便は、兵部大輔自鎮西下向便宜候也
   自太子堂寂忍御房、櫃二合自代官信重許下給候之間進之候、四五
   日之程に便宜候、可有御返事候者、給候之可進之候、恐惶謹言、
     四月十日        貞顕
    方丈進之候

(2)「金沢貞顕書状」
   去月四日・同十五日両通御返報、今月四五両日到来、委承候了、
   御下向之後、無御音信候之間、不審思給候之処、無為殊悦入候、
   京都当時無別子細候也、南都事先度如申候、急度御使下向候しか
   は、御沙汰不可有程候歟、早々可帰参候、抑法花経・茶等事、自
   太子堂送給候はゝ、可取進候也、兼又、新日吉小五月会、去月廿
   九日被行候き、於南方御桟敷見物仕候了、あはれ見せまいらせ候
   はやとのみ(以下欠ク)

(3)「長井貞秀書状」
     以御引、法花曼陀羅誂候之処、凡以不法無極候、如何なとか
     かゝ物をは引被給候けると、返々遺恨覚□〔候〕
   自太子堂御返事不候之由、令申候之処、只今給候之間、取進之
   候、仍仏具箱二合・両界一合・茶一合給置候、内両界箱一合・茶
   一合は令進之候、仏具二合者人夫不足候之間止置候、以後日可進
   之候、恐々謹言
     六月七日         貞秀(花押)
   明忍御房

(4)「了証書状」
   しんせう房のくたりの御文、たしかに見まいらせて候、なにより
   も御ひさうのものにて候けるに、わん給はりて候御事、御かたし
   けなくよろこひおほえさせをはしまして候、このひんにうけ給は
   りて候し、たいしたうよりくたさせ給て候なる仏くとりにまいら
   せて候、はうしやうゑにのほり候人に申あつらへて候、よく/\
   御したゝめわたらせをはしましし候て給はり候へく候、これはそう
   しにわたらせ給候せうみちの御房と申候そうのかたへまいらせ
   候、いかさまにも二くにて候けに候か、へちにしたゝめられて候
   やらん、一はこに入り候やらん、もし一つにはしいれて候はゝ、
   せいみちの御房と申候はなか事にて候、たとひ二候とも、二なか
   らくたり候はんすらんとおほえ候、いつれもをなし人に申つけて
   候時にとおほえ候、このよしを申させ給へく候、
         九月四日
   (切封ウハ書)
  「         封
   かねさわの        御方
       御寺へ  明忍御房申させ給へ
                 三村尼寺より
                     了証」
-------

この後、長大な解説がありますが、省略します。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板