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Japanese Medieval History and Literature

7504鈴木小太郎:2022/05/25(水) 11:57:09
小川剛生氏「京極為兼と公家政権」(その10)
小川氏は、

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 しかし、事が為兼への讒言から起きたために伏見院は讒者を処罰しようとしている、という風に受け取られ、幕府にも伝わったらしい。ここで讒臣と目されたのは先に東使の申し入れを伝達した西園寺実兼であることは想像に難くない。実兼も讒臣呼ばわりされることには堪え難かったのであろう、幕府にこれを伝え、さらなる反発を招いたのである。伏見院は「凡讒諂臣、(中略)偽何可挙君非於遠方哉、如此輩被糺明真偽之条、不可限此一事、可亘万人歟」と、そういう不心得の輩を探し出して罰するのは当然であって、為兼を処罰したのとはおのずと別事であると述べたのである。そして再び為兼一門への処罰の厳しさを強調し、それでも誠意を疑うのであれば、親しく宸翰を書いて遣わすつもりであるとする。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b9d79dfe0a7c50869f81ac165a24df2a

とされますが、西園寺実兼か「讒諂臣」かどうかはともかくとして、実兼が「讒諂臣」云々の話を幕府に伝えた、という事実は「事書案」のどこにも書かれておらず、これは小川氏の勇み足ではないかと思います。
とにかく、窮地に陥っていた伏見院が、この時点でわざわざ永福門院の父である実兼を敵に回そうとするとは私には思えず、「讒諂臣」候補の筆頭は、「事書案」冒頭の「御治天間事」で皇統を持明院統から大覚寺統へ転換させようと工作していると名指しで糾弾されている六条有房と考えるのが素直だと思います。
さて、(その7)で引用した部分の続きです。(p38)

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 後文にはさきに為兼の「政道巨害を成す」といわれたことへの陳弁が連ねられる。

  此条入道大納言、不可相縡当時之朝議之念〔ママ〕、偏彼張行事、
  此御方有御御許容、依被執申非拠、及乱政之由、奸邪之輩、
  存凶害驚遠聞歟、御老後恥辱何事如之哉、

 まず幕府は為兼の「張行」を伏見院が「許容」し、数々の「非拠」を行わせた結果、政治が乱れていると指摘し、伏見院は既に入道している為兼が現在の政務に関与するはずがないと弁解した。幕府の持明院統の治世に対する懸念が容易ならざるものであったことが分かる。
 つぎに「政道雑務御親子之間、被申合之条、代々芳躅也」以下は、伏見院と後伏見院の不和を背景とする。即ち、伏見院は正和二年十月に後伏見院に政務を譲り出家していたが、なお後伏見院を後見することが多かった。しかし後伏見院は父院の存在が重荷となり、この頃には政務の返上を申し立てる程であった。これも「謳哥説」の一つであり、持明院統の不協和音には幕府も関心を寄せたのである。ところで辻彦三郎氏は、当時の西園寺実兼が為兼を信任する伏見院からは距離を置き、逆に為兼を嫌う後伏見院を巧みに篭絡することで、伏見院の発言力の低下を意図していたことを看破し、『花園院宸記』の記事からは窺えなかった、為兼を取り巻く謀略を明らかにされている。「事書案」は辻氏の論が正鵠を射ていたことを裏書きする。闕文のために詳細は知り得ないが、つまりここは、法皇がなお政務に関与することに対する幕府の批判をうち消すべく記されたものなのである。
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「後文」の「不可相縡」という表現は、「縡」では意味が通らないので、これは「綺」(口出しすること、干渉)の誤りなんでしょうね。

「綺・辞・弄(読み)いろう」
https://kotobank.jp/word/%E7%B6%BA%E3%83%BB%E8%BE%9E%E3%83%BB%E5%BC%84-2009047

小川氏も「現在の政務に関与するはずがない」とされているので、そう解されているのだと思います。
ところで、「政道雑務御親子之間、被申合之条、代々芳躅也」云々には非常に複雑な背景があるので、「事書案」だけ読んでも全く理解できないはずです。
「為兼を取り巻く謀略を明らかにされている」に付された注(17)には、

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(17)『藤原定家明月記の研究』(吉川弘文館 昭和52・5)「後伏見上皇院政謙退申出の波紋─西園寺実兼の一消息をめぐって」参照。
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とあり、私も前々からこの論文が非常に気になっていました。
今回、改めてきちんと読み直してみたのですが、私にはとても辻彦三郎氏(元東京大学史料編纂所教授、1921-2004)が「当時の西園寺実兼が為兼を信任する伏見院からは距離を置き、逆に為兼を嫌う後伏見院を巧みに篭絡することで、伏見院の発言力の低下を意図していたことを看破」したとは思えず、それは辻氏や小川氏の「邪推」だろうと考えます。
また、「「事書案」は辻氏の論が正鵠を射ていたことを裏書きする」訳でもなかろうと思います。
総じて私は辻論文に極めて批判的なのですが、辻論文を批判しようとすると十回くらいの投稿が必要になるので、今は止めておきます。

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『藤原定家『明月記』の研究』

歌聖藤原定家の分身といってもよい「明月記」は鎌倉時代史研究に不可欠の史料である。本書は明月記自筆本が辿ったあとを歴史的に考察し、彼の感情の起伏をその行間に求めた。さらに江戸時代の貴紳が描く定家像をも論述。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b32580.html




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