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Japanese Medieval History and Literature

7427鈴木小太郎:2022/03/20(日) 23:02:10
『とはずがたり』の政治的意味(その8)
序文に登場する六人のうち、分量的には「藤三品」(藤原広範)の次に「或女房」への言及が多く、更に作品数を考慮すれば「或女房」の方が「藤三品」よりむしろ重視されているように見えます。
その理由を探るため、『撰要目録』序文に続く百曲の中で明空の作詞・作曲でない作品に付されたコメントを抜き出し、それらの特徴を比較してみたいと思います。
まず、六人の中でも特に身分の高い洞院公守と花山院家教はそれぞれ一曲、しかも作詞だけです。

 雪 洞院前大相国家作 明空調曲
 道 花山院右幕下作 明空調曲

二人はいずれも関東伺候廷臣ではなく、またその経歴を見ると、おそらく関東に行ったこともなさそうです。
次に「藤三品」(藤原広範)ですが、この人は関東伺候廷臣で、『吾妻鏡』に正嘉元年(1257)から登場しているほどですから明空と直接の面識があっても不思議ではない、というか、おそらく古くからの知人なのでしょうね。

 花 藤三品作 明空調曲
 年中行事 藤三品作 明空調曲
 山 同前 同

なにしろ三曲も書いているのですから、頼まれたから嫌々やったというようなことではなく、早歌が相当に好きだったはずです。
しかし、この人も作詞だけで、作曲は全て明空ですね。
次に「冷泉武衛」(冷泉為相、阿仏尼息)ですが、この人は関東伺候廷臣です。
為相には序文で言及されている「龍田河恋」だけでなく、「和歌」という作品の作者でもあるようですが、「自或所被出冷泉武衛作云々」という何だかすっきりしない書き方です。

 龍田河恋 冷泉武衛作 明空調曲
 和歌 自或所被出冷泉武衛作云々 明空調曲

序文で「冷泉武衛」とひとまとめになっている「冷泉羽林」(二条為通)は関東伺候廷臣ではないものの、関東に下った経験はあります。
序文では「名取河恋」だけが言及されていますが、もう一曲、「暁別」という曲も作詞しています。

 名取河恋 冷泉羽林作 明空調曲
 暁別 同前 同

冷泉為相・二条為通の二人は、言及の分量が極端に少ないだけでなく、二人とも二曲書いているのに一曲は無視されている点でも共通で、明空からあまり重んじられていないことは明らかですね。
さて、以上の五人は作詞だけですが、「或女房」は、

 源氏恋 或女房作 同調曲
 源氏 或女房作 同調曲

ということで、二曲とも作詞のみならず作曲もしており、しかも作曲については他の箇所で見られる「明空成取捨調曲」といった留保もなくて、明空から完全に独立した存在ですね。
そもそも早歌は鎌倉の武家社会で生まれた、文字通りスピード感を特徴とする歌謡なので、鎌倉で実際にその歌唱を聞いたこともない人が、作詞はともかく作曲をするのは無理と思われます。
従って、早歌を自ら作曲できるか否かが鎌倉との関係の重要なメルクマールとなり、「或女房」は鎌倉在住か、あるいは少なくとも関東に下った経験はあると言ってよさそうです。
関東伺候廷臣の藤原広範・冷泉為相、関東に下ったことのある二条為通は、作曲の才能はなかったのでしょうね。
関東に行ったこともなさそうな洞院公守・花山院家教は、明空ないしそのパトロンの依頼で作詞だけしたのではないかと思われます。
以上、序文に登場する六人を比較してみましたが、「或女房」は女性だからということで、古今集の六歌仙になぞらえて無理やり序文に組み込まれた訳ではなく、明空にとって実質的にも相当重みのある存在だったことが窺えます。

>筆綾丸さん
>或女房の作がともに源氏(「源氏恋」と「源氏」)であるというのは、『源氏物語』の名をを借りて、実は、この女房は源氏の出だ、というシャレなのかもしれませんね。

「白拍子三条」が後深草院二条の仮の名であれば、その可能性は高そうですね。
実際、二条の父・中院雅忠は「源氏長者」にもなっていますから、源氏といえば何と言っても村上源氏、それも源通親の子孫でなければ本当の源氏ではないのよ、といった意識は二条にはあったでしょうね。

源氏長者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%95%B7%E8%80%85




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