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Japanese Medieval History and Literature

7422鈴木小太郎:2022/03/17(木) 21:17:14
『とはずがたり』の政治的意味(その6)
『撰要目録』序文の続き(後半)です。
ここからは六人の代表的作者を取り上げ、それぞれの作品の表現を随所に鏤めつつ簡潔に紹介しており、これ自体が一種の詩です。
そのため現代語訳は極めて困難ですが、無理を承知で、何となく雰囲気が分る程度に訳してみました。
まずは原文です。

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抑彼の洞院家の詠作には、瑞を豊年に顕し、孫康が窓、袁司徒が家の雪、ふりぬる跡を尋ねて、情の色をのこし、花の山の木高き砌、三笠山の言の葉にも、道の道たるす直なる世々、五常の乱らざる道を能くし、南家の三の位、風月の家の風にうそぶきて、春の園に桜をかざし、花を賦する思を述べ、足引の山の名を、うとき国までにとぶらひ、なほなほ年中に行ふ事態、霞みてのどけき日影より、霜雪の積る年の暮まで、あらゆる政につけても、君が御代を祝ふ。涼しき泉の二の流れには、龍田河名取河に、恋の逢瀬をたどり、藻塩草かき集めたる中にも、女のしわざなればとて漏らさむも、古の紫式部が筆の跡、疎かにするにも似たれば、刈萱の打乱れたる様の、をかしく捨てがたくて、なまじひに光源氏の名を汚し、二首の歌を列ぬ。残りは事繁ければ、心皆これに足りぬべし。よりて今勒する所、撰要目録の巻と名づけて、後に猥りがはしからしめじとなり。此外に出で来り、世にもてなし、時に盛りならむ末学の郢作、善悪の弁へ、人のはちに顕れざらめや。

「撰要目録」を読む。(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ff69e365c35e0732e224f451e70fbc8f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d40419fb4040d03777431b35d63a54a7

次いで、本当に文字通りの拙訳です。

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そもそも彼の洞院家の前太政大臣(公守)の詠作(「雪」)は、豊年の予兆である雪、孫康の窓、袁司徒の家に降った雪の故事を尋ねて風流の趣があります。
花山院家の右大将(家教)の作品(「道」)には、道の道たる素直なる世々、五常の乱れぬ道が上手に表現されています。
藤原南家の三の位(広範)は風雅な家風に従って春の園に桜をかざし、花への思いを述べ(「花」)、諸々の山の名前を異国にまで尋ね(「山」)、更に宮中の行事を、霞みのどかな春の日影から霜や雪の積る年の暮まで、つぶさに紹介しつつ我が君が御代を祝います(「年中行事」)。
冷泉家の二つの流れ、冷泉武衛(為相)の「龍田河恋」と冷泉羽林(為通)の「名取河恋」は、それぞれに恋の逢瀬を辿ります。
藻塩草をかき集めた中にも、女性の作品だからといって取り上げないのは古の紫式部の筆の跡を疎かにするような行為なので、刈萱の打乱れた様子も趣深く捨てがたく、あえて光源氏の名を汚して、或る女房の「源氏」「源氏恋」の二首を採りました。
これ以外の人の作品をいちいち取り上げるのも煩雑であり、このあたりで十分でしょう。よって撰要目録の巻と名づけて、後世に混乱をきたさぬように選びました。この外に世間でもてはやし、時に流行するであろう末流の学者の作品も、善し悪しの分別は人々の評判に明らかとなるでしょう。
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この序文の後に、

宴曲集巻第一 四季部 ……10曲
宴曲集巻第二 賀部付神祇……7曲
宴曲集巻第三 恋部……9曲
宴曲集巻第四 雑部上付無常……12曲
宴曲集巻第五 雑部下付釈教……12曲
宴曲抄上……10曲
宴曲抄中……11曲
宴曲抄下……9曲
真曲抄……10曲
究百集……10曲

という分類で合計100曲のタイトルが列挙され、その一部に作詞・作曲者の名前が付されています。
「宴曲集巻第一 四季部」の「春」ならば「藤三品作 明空調曲」、同じく「雪」ならば「洞院前大相国家 明空調曲」といった具合ですね。
名前が書かれていない作品は全て明空の作詞作曲です。

>筆綾丸さん
>ついつい、『宴曲集』を中断して、『閑吟集』の方をを見てしまいます。

早歌はいかにも武家社会の芸能らしい無骨さがあるので、芸術的な香気という点では『閑吟集』に負けてしまいますね。

>洞院家と南家の三位(藤三品?)と或女房へ言及した各々の文の量がほぼ同じ

新間進一氏の注には「「南家の三の位」とは、藤三品のことか」(p39)とずいぶん自信なさそうに書かれていますが、『日本古典文学大系44 中世近世歌謡集』は1959年刊行なので、その時点では「藤三品」が誰か不明でした。
早大本が発見されて、その注記から藤原広範であることが明確になった訳ですね。
この点、外村久江氏は『早歌の研究』(至文堂、1965)において、例えば「藤三品」が藤原広範、「二条羽林」が飛鳥井雅孝、「或女房」は阿仏尼などと比定していたところ、その上梓後間もなく、早稲田大学図書館で新しい伝本の存在が確認された上、「早大本のもっとも貴重な点は、作者の傍らに朱の注記があり、これが作者の調査にはまことに好資料」となったのだそうです。
例えば「藤三品」には「広範卿」、「二条羽林」には「雅孝朝臣飛鳥井」との朱注があって、外村氏の研究の正しさが証明された一方で、「源氏恋」「源氏」の作者「或女房」には「白拍子号三条」とあって、阿仏尼との外村説は無理であることが明らかになったそうです。

「小林の女房」と「宣陽門院の伊予殿」(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/812300a147aea9cb5f760c2d0b02c991




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