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Japanese Medieval History and Literature
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『とはずがたり』の政治的意味(その5)
早歌の創始者・明空の出自は不明ですが、外村久江氏は「明空の生涯−浄土欣求の歌謡作者−」(『鎌倉文化の研究』所収、初出は『日本歌謡研究』25号、1987)において次のように推定されています。
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明空の出身は残念ながら不明である。しかし、古今集をはじめ勅撰集や源氏物語以下の物語類・仏典・中国古典等を存分に使いこなし、また、雅楽・声明等のこれまでの音楽・声楽に通じていることを考えると、並々の人ではなさそうである。ただ、晩年に、比企助員を介して、長く幕府引付頭を務めた北条顕実(金沢貞顕兄)の庇護を受けている様子や、助員がもと将軍の外戚で、政権争いで滅亡した家の後裔らしいことなぞ考え合わせると、武家社会の第一線の政治・軍事に参画することは許されないが、この種の教養を身につけることの出来る階層で、宗教・儀礼・娯楽方面には大いに働きえた人、そういう点から考えると、明空もやはり、鎌倉幕府の御家人(将軍直属の臣)の没落した家の末裔ではなかったろうか。
http://web.archive.org/web/20090821120709/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/tonomura-hisae-myokuno-shogai.htm
早歌の普及・発展に金沢北条家の援助があったことは、明空の宗匠としての地位を受け継いだ二代目・比企助員の代になって明確になりますが、明空自身が財産家であったなら何も永仁年間、五十歳近くになってから撰集を始めることなく、もっと若い時期にやっていたはずです。
また、弘安元年(1278)生まれの「越州左親衛」金沢貞顕の作品が相当早い段階で登場することを考えると、これも巨額の資金援助をしてくれるスポンサーのお坊ちゃまを優遇したと考えるのが自然で、明空の代から金沢北条家が早歌の世界に深く関わっていたことは間違いないと思います。
「越州左親衛」(金沢貞顕)作詞の「袖余波」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5c6f654a75b33f788999dc447bda1e48
「越州左親衛」(金沢貞顕)作詞の「明王徳」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ae842c9469091ef7c8930ee108d9daad
さて、前回投稿で触れたように、早歌の創始・発展期の約三十年間は作曲・作詞家リストである『撰要目録』の序文が記された正安三年(1301)を境として前期・後期に分かれますが、前期の作者には公家社会の相当上層の人物が含まれます。
つまり、早歌の場合、民衆の芸能が次第に社会の上層に受け入れられて行くのではなく、いきなり社会の上層が部分的に参加し、以後は作者の範囲は拡大するものの、社会的階層としては低下することになります。
これはいったい何故なのか。
私としては、公家上層の部分的参入は創始者たる明空、そしてその庇護者である金沢北条氏の文化戦略であって、早歌が田舎芸能と見られるのを避けるため、最初に早歌の箔付けを狙ったのではないかと考えます。
ただ、その場合、誰が公家社会の接点となったのかが問題となります。
普通に考えれば、そうした役割は関東伺候廷臣あたりがふさわしいということになりそうですが、この点をもう少し具体的に、前期の早歌作者の具体的人名に即して検討してみたいと思います。
そこで先ずは基礎作業として、『日本古典文学大系44 中世近世歌謡集』(岩波書店、1959)の新間進一による校注を参照させてもらいつつ、拙いながらも『撰要目録』序文の現代語訳を試みることとします。
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序
いったい我が道の郢曲(早歌)は、幼童の口ずさみ、万人の耳を遮る類、様々に多いのですが、愚かな老人である私が選び集めた作品は全部で十巻、合計百に及びます。この内、二十余首は私の作品ではないので、その作者の名前を記憶を辿りつつ記すことにします。これらの中には貴人の命によるものもあれば、私が聞き及んだものもありますが、その中で私の耳に留り、由緒のある作品を先としつつも、都会と田舎の玩びのような作品や世間で広まっている作品も避けてはいないので、定めて誤記もあり、本来の作品を正確に再現したのかもはっきりしないことも多く、後世の誹りを逃れるのは難しいと思われます。まして、私自身が他人の意見を参考にすることなく作った作品は、儚い筆の迷いであって愚かで拙いものです。ただ、私のような老人が鳩の杖にすがることもないまま、幼稚な竹馬のような営みを世間に知らせるためのものであるので、仰々しく主張することもできません。そういった事情なので、特別に調律や修辞の技巧を凝らさず、戯れの口ずさみ、寝覚の独り言のようなものを誰が漏らしているのだろうと、このように真面目になって編集することすら世人の賛成するところではないのでは、などと他人の思惑も気にならない訳ではありませんが、ひたすら自分の好きな道なので、世間の誹りも忘れる程熱中してしまうのは、必ずしも私のような愚かな人間だけの振舞いでもあるまいと自分で慰めるのも、やはり老人のひがみというものでありましょうか。
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いったん、ここで切ります。
非常に謙虚なフリをしながら、満々たる自負が漲っている点で、現代の学者であれば「古筆学」の小松茂美氏あたりを連想させますね。
原文はこちらです。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ff69e365c35e0732e224f451e70fbc8f
>筆綾丸さん
>明空が僧だとすれば、金沢北条氏の菩提寺(称名寺)との関係から、西大寺系の真言律宗の僧で、明空の空は空海の空というようなことになりますか。
出家者であることは間違いないのですが、明空の宗派ははっきりしないようですね。
「法華」という天台宗っぽい作品もあれば、「浄土宗」や「曹源宗」といった作品もあります。
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