したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

Japanese Medieval History and Literature

74筆綾丸:2007/06/28(木) 20:44:46
死せる孔明・・・
釈由美子が好きさん
小太郎さん
kariさま

13世紀の事件が、きっちり頭に入ってないので、頓珍漢なことを言うかも知れませぬ
が・・・。
北条宗家である経時くんちに対して、時頼がうんと気を使っているような気がします。
頼嗣の妻は経時の妹ですから、頼嗣を無理無体に引きずりおろして京都に「押し込め」
たとは、経時くんちの、いわば廃絶にトドメを刺すようようなもので、新しく迎えた
宗尊親王を「鎌倉殿」と呼ぶのは、どんなにツラの皮が厚くても言えない。それは僭称
である、というような非常に緊迫した政治的状況があったのではないか。
そこで、時頼は、朝廷という虎の威を借りたというよりも、一歩も二歩も譲歩して、
「将軍家」とせざるを得なかったのではないか。ヤクザの世界ではありませぬが、
「将軍家」という名称で、暗黙の手打ち式のようなものがあったのではないか。たかが
名称に過ぎぬのですが、ここで政治判断を誤ると今度は俺の命が危ねえ、というような。
「将軍家の仰せ」という間の抜けた名称は、時頼権力の脆弱さの象徴なのではあるまいか。
死せる孔明、生ける仲達を走らす、ではありませぬが、死せる経時の影響があるのではな
いか。宗家の格式といいますか、経時は大変な人物だったという、逆証明のような気も
します。経時に比べ、時頼は非常につまらねえ奴だったのではないか。
宗家の嫡流であれば、わざわざ「得宗」などと言わずとも自明のことですから、「得宗」
という名称には、宗家を乗っ取ったのだ、というペジョラティフな(貶下的な)意味が、
当初は含まれていたのではないか。権力が安定すると、ペジョラティフな意味が綺麗に
払拭されて・・・というようなことだったのはないでしょうか。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板