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Japanese Medieval History and Literature
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田渕句美子氏「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(その9)
いよいよ最後の部分です。(p49以下)
田渕氏も二条が美貌(自称)と教養を武器に、東国の最高権力者相手であっても堂々と振る舞い、全国各地を漫遊した活動力溢れる女性であることを認めてはいますが、どうにもその評価はしみったれていますね。
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そうした無念さを通奏低音としつつも、『とはずがたり』の最大の魅力は、自ら出家して宮廷外の世界にはばたいた作者雅忠女の自由な精神とひたむきな活力にあることも、また確かである。『とはずがたり』巻四・五には断片的に書かれるのみだが、恐らく宮廷での知己や元女房たちのネットワークを縦横に駆使し、自身の知識や教養を地方の人々に伝えつつ、自ら自在に、時には誰かの命を帯びて(鎌倉下向はそうであっただろう)、はるかな国々を巡った。その果てに後深草院と邂逅して絆を繋ぎ直し、やがては院の死を悲痛に描き、再び院の分身的存在となって院の後生をひたすら祈り、『とはずがたり』は後深草院と自身の鎮魂の物語へとまとめ上げられていくのである。
『とはずがたり』は、実に鮮やかに、女房の生涯、存在形態、意識、女房メディア、文化的役割などを語っている。女房は、宮廷社会の中で、その一員でありつつ、宮廷やその時代などを照らし出す存在となる。王権に密着し、王の分身ともなるが、時に疎外される枠外的存在である。強い家門意識をもつが、時に家からも疎外される。光があたる存在ともなり、光に寄り沿う黒子的存在ともなり、無名の影ともなる。主君に従う者でもあり、時に主君を導く者でもある。女房は、当事者であり、観察者・表現者であり、宮廷文化を共有・継承・運搬・伝達し、歴史と宮廷を語り伝え、やがては女房自身が語られる存在ともなる。
宮廷女房文学としての『とはずがたり』には、こうした女房のすべてが流れ込み、混淆して奏でられる交響楽のような作品であると言えよう。
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「光に寄り沿う黒子的存在」というのは、おそらく『増鏡』巻十一「さしぐし」に描かれた、
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出車十両、一の左に母北の方の御妹一条殿、右に二条殿、実顕の宰相中将の女、大納言の子にし給ふとぞ聞えし。二の車、左に久我大納言雅忠の女、三条とつき給ふを、いとからいことに嘆き給へど、みな人先立ちてつき給へれば、あきたるままとぞ慰められ給ひける。
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9864
という場面のことかと思いますが、この場面の理解は『とはずがたり』と『増鏡』の関係を考える上で決定的な重要性を持ちますね。
さて、以上で田渕論文の紹介を終えましたが、田渕氏は『とはずがたり』に虚構が極めて多いことを認めつつも、『とはずがたり』が「女房日記」であるという立場は頑なに死守されておられます。
他方、私自身は、『とはずがたり』のストーリーを年表に落とすと史実との間に矛盾がやたらと生じること、また、二条は弘安二年(1279)に死去した祖父・隆親の死亡時期を、『とはずがたり』では後ろに四年もずらして弘安六年(1283)の出来事のように記すこと、そしてその際、実際には死んでもいない叔父・四条隆顕も既に死んでいるように書いていることなど、肉親の死ですら平然と捏造するタフな神経の持ち主であること等から、『とはずがたり』は話を面白くするためには叔父でも殺す、徹底した自伝風小説だと考えています。
善勝寺大納言・四条隆顕は何時死んだのか?(その1)(その2)
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四条隆顕の女子は吉田定房室
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「四条隆顕室は吉田経長の従姉妹」
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『とはずがたり』の年立
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『中務内侍日記』の「二位入道」は四条隆顕か?(その1)(その2)
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従って、私のチベットスナギツネのような目は、ある種の滑稽感とともに田渕氏の頑固さをじっと眺めているのですが、しかし、自伝風小説というのが、古代・中世の女房文学の中で、他に類例のない特異なジャンルであることも確かです。
そこで、旧サイト(『後深草院二条─中世の最も知的で魅力的な悪女について)時代の私のように『とはずがたり』を語る国文学者たちを一方的に冷笑するだけでなく、私の立場を積極的に支持してもらえるように工夫する必要があると感じています。
そのためには何をすべきか。
やはり私としては、作者が『とはずがたり』のような奇妙な自伝風小説を書いた動機をきちんと論証すべきではないか、と考えます。
この点、旧サイト時代の私には答えられない謎だったのですが、今の私は二条を西国の公家社会と東国の武家社会を自由に往還した政治的人間として捉えていて、その立場から一応の解答を提示できるのではないかと思っています。
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