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Japanese Medieval History and Literature

7393鈴木小太郎:2022/02/21(月) 20:49:34
田渕句美子氏「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(その7)
『とはずがたり』の巻四・巻五に計四か所、奇妙な「書き入れ」があることは、『とはずがたり』の基本的性格が「女房日記」か、それとも自伝風小説かを考える上で、私にはけっこう大事なことのように思われますが、巻五に二箇所だけと誤解されている田渕氏は、さほど重視はされていないようですね。
さて、続きです。(p47以下)

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 『とはずがたり』には円環的で周到な表現構造があり、最終的には作者の構想によって全体が整除されまとめられたと思うが、その母胎となった草稿は、長年にわたる、多様で断片的な記の集成であったのではないか。そうしたものがなければ、かくも長年にわたる出来事・生涯を回想した女房日記が書けるはずはない。平安・鎌倉期にもそれ以後も、女房の手元には、宮廷女房生活で必要な、日々の記録や覚書、公事・雅宴等の記録や別記など、そして公私の和歌の詠草や消息などが、常に保存・蓄積されていたに違いないのである。これは回想的な女房日記全般について言えることであるが、こうした草稿群から選ばれて推敲と編集を重ねた結果が、現『とはずがたり』に近いものではないか。脱落や流動も考えられる。一方ではすべてが事実ではなく、物語を象った表現、意図的な虚構やずらし、韜晦もある。旅の記も記録的な紀行文ではなく、虚構や説話が織り交ぜられている。
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田渕氏の基本的姿勢として、田渕氏は『とはずがたり』が他の「女房日記」と類似する部分を強調する傾向が強いですね。
ただ、日々の記録を淡々と記すのではなく、「円環的で周到な表現構造があり、最終的には作者の構想によって全体が整除されまとめられ」ていて、「すべてが事実ではなく、物語を象った表現、意図的な虚構やずらし、韜晦も」あり、「虚構や説話が織り交ぜられている」のであれば、仮に「女房日記」だとしても、他の「女房日記」とは相当に異質な要素を持っていそうです。
以上で第四節は終わり、第五節に入ります。(p48)

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  五 君寵と女房

 二条が後深草院御所から追われて約九年後、伏見の御所で後深草院に再会する(巻四)。そこで二条は、出家後においても、以下のように思ったことを告白している。

  思はざるほかに別れたてまつりて、いたづらに多くの年月を送り迎ふる
  にも、御幸・臨幸に参り会ふ折々は、いにしへを思ふ涙も袂をうるほし、
  叙位・除目を聞く、他の家の繁昌、傍輩の昇進を聞く度に、心を痛まし
  めずといふことなければ、……

 今は出家して諸国を旅する身だが、叙位・除目などの情報は常に入手し、宮廷社会の動向を見、栄達した人と我が身を比べては嘆いていたことが窺われる。そして院と別れた後、次の如く反芻する。巻四最後に近い部分である。

  昔より何事もうち絶えて、人目にも、「こはいかに」などおぼゆる御も
  てなしもなく、「これこそ」など言ふべき思ひ出でははべらざりしかど
  も、御心一つには、何とやらむ、あはれはかかる御気のせさせおはしま
  したりしぞかしなど、過ぎにし方も今さらにて、何となく忘れがたくぞ
  はべる。

 巻一・二では、自分が院の寵愛のもとで光輝ある女房であったことをさまざまに語る。しかしそれは一時的なもので、恐らくは生んだ皇子の夭折が決定的に影響して、結局は格別な恩顧は得られなかったことを、自ら総括している。長く続く寵幸と庇護、つまり宮廷で確固たる地位を与えられなかったことは、雅忠女を深く傷つけていたのではないか。
 『とはずがたり』巻一で、東三条院【ママ】が二条のふるまいを非難する書状を送ってきた時、後深草院は二条を擁護する長文の返事を送ったと、作者は語っている。その中で後深草院は、雅忠の遺言等にも触れて二条を自分が庇護すべきことを強調し、たとえ二条に何か問題があったとしても、「御所を出だし、行く方知らずなどは候ふまじければ、女官風情にても召し使ひ候はむずるに候ふ」と述べたと言う。下級の「女官風情」という語がここにあることは興味深い。名門の誇り高い上臈女房二条でも、庇護する家や後援者がいなければ、転落は常に起こり得たのである。しかし院は、雅忠への約束もこの言葉も守らなかった。
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「東三条院」は「東二条院」の誤植ですね。
「女官風情」云々は共通テストに出題された前斎宮の場面のすぐ後に登場するので、既に検討済みです。

2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その8)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/11157

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 いふかひなき北面の下臈ふぜいの者などに、ひとつなる振舞などばし候ふ、などいふ事の候ふやらん。さやうにも候はば、こまかに承り候ひて、はからひ沙汰し候ふべく候ふ。さりといふとも、御所を出だし、行方知らずなどは候ふまじければ、女官ふぜいにても、召し使ひ候はんずるに候。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9433

後深草院がここまで一方的に二条に加担し、東二条院への配慮を欠いた手紙を出せば大変なトラブルに発展するはずなので、『とはずがたり』のような個性的な作品以外の堅実な史料から窺える、万事に慎重な後深草院の性格からすれば、私にはこれが史実とは思えません。
しかし、田渕氏は「しかし院は、雅忠への約束もこの言葉も守らなかった」と書かれているので、「雅忠への約束」と二条への約束はいずれも事実だと考えておられるようですね。




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