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Japanese Medieval History and Literature
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J'accuse
小太郎さん
仰るように、「後深草院は本当に駄目な我儘男なんですよ」という印象を与えたかったのだ、とすると、なぜあんなエロ話をしたのか、すとんと腹落ちしますね。
ドレフュス事件で、ゾラのJ'accuse (私は弾劾する)は歴史的な言葉になりましたが、私は後深草院を弾劾する、scherzando(戯れるように)、といったような感じです。
小松茂美『天皇の書』で、後深草院の書をあらためて見ると、後嵯峨院ほどではないが、亀山院よりずっと能筆だ、と思います。
これは嘉元二年(1304)正月朔日のもので、後深草院はこの年の七月十六日に崩御しているので、最後の年賀状ということになりますね。追善供養として紙背に写経したもので、古筆学では消息経と呼んでいるとか。
小松氏は、
「現存する後深草法皇の宸翰は、淡墨を一気呵成に走らせた、能筆である。書道史の展望においても、比類なき風情を湛える書風である。枯淡の中に凛たる品格の漂う書・・・」
と絶賛していて、確かに名君を思わせるような雄勁な字ですが、とすると、書は為人(人品骨柄)を表さない、騙されちゃダメよ、ということになりそうですね。
なお、何の関係もなく、また、他意もないのですが、後深草院の諱(久仁)は、このたび、名門筑波大附属高への入学が決まった親王の諱(悠仁)と同じ訓みですね。
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