したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

Japanese Medieval History and Literature

7367鈴木小太郎:2022/02/12(土) 12:59:42
2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その11)
『増鏡』巻九「草枕」の続きです。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p192以下)

-------
 本院は、故院の御第三年のこと思し入りて、睦月の末つ方より六条殿の長講堂にて、あはれに尊く行はせ給ふ。御指の血を出して御手づから法花経など書かせ給ふ。僧衆も十余人が程召し置きて懺法など読ませらる。御掟の思はずなりしつらさをも思し知らぬにはあらねど、それもさるべきにこそはあらめ、といよいよ御心を致してねんごろに孝じ申させ給ふさま、いと哀れなり。新院もいかめしう御仏事嵯峨殿にて行はる。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9410

後深草院が「御指の血を出して御手づから法花経など書かせ給ふ」などと、現代人には些か不気味な感じもする血写経の話が出てきますが、これは『とはずがたり』に基づいています。
『とはずがたり』では参加した僧侶の人数が「経衆十二人」、期間が「正月より二月十七日まで」、「御手の裏をひるがへして」(故院の御手蹟の裏に)と『増鏡』より具体的ですが、反面、血写経の目的は記されていません。
この点、『増鏡』は故院の三回忌としていて、二月十七日は後嵯峨院の命日ですから、『増鏡』の記述から『とはずがたり』の記述が合理的に説明できるという関係になっています。
ところで、六条殿・長講堂は『増鏡』に後深草院が血写経を行なったと記されている文永十一年(1274)正月の三ヵ月前、文永十年(1273)十月十二日に火事で焼失しており、再建されたのが文永十二年(建治元年、1275)四月なので、文永十一年正月には物理的に存在していません。
これをどのように考えたらよいのか。
実は、後深草院の血写経は『とはずがたり』の中ではけっこう重要な出来事です。
というのは、この重要な仏事に際して、後深草院は女性関係を一切断っており、従って、この間に「雪の曙」の子を妊娠した二条の相手が後深草院のはずはなく、二条は九月に女児を出産したものの、後深草院には早産だと偽った、という展開になります。
後深草院の血写経を起点とする『とはずがたり』の妊娠・出産騒動はハラハラ・ドキドキの連続で、些かコミカルなところもあり、ドラマとしては非常に面白いものです。
しかし、「雪の曙」こと西園寺実兼が、元寇(文永の役)の直前の時期、関東申次の重職にあるにもかかわらず、春日大社に籠もると称して一切の職務を放擲し、愛人の出産にかかりきりになっていたなどという場面もあって、これら全てを史実と考えるのは無理が多い話です。
私としては、この話は全体として虚構であり、存在しない六条殿・長講堂で行われた後深草院の血写経も、この話をリアルに見せるための「小道具」のひとつだろうと考えます。

『とはずがたり』に描かれた後深草院の血写経とその後日談(その1)〜(その5)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9411
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9412
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9413
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9414
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9415

さて、『増鏡』に戻って続きです。

-------
 三月廿六日は御即位、めでたくて過ぎもて行く。十月廿二日御禊〔ごけい〕なり。十九日より官庁へ行幸あり。女御代、花山より出ださる。糸毛の車、寝殿の階〔はし〕の間に、左大臣殿、大納言長雅寄せらる。みな紅の十五の衣、同じ単、車の尻より出さる。十一月十九日又官庁へ行幸、廿日より五節始まるべく聞こえしを、蒙古〔むくり〕起るとてとまりぬ。廿二日大嘗会、廻立殿〔くわいりふでん〕の行幸、節会ばかり行はれて、清暑堂〔せいしよだう〕の御神楽もなし。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9417

ということで、文永十一年(1274)の記述はずいぶんあっさりしています。
この年の最大の出来事は言うまでもなく元寇ですが、『増鏡』における元寇の記述は即位関係の諸行事が「蒙古起るとてとまりぬ」だけです。
六年前の文永五年(1268)、蒙古襲来の可能性が生じた時ですら、

-------
 かやうに聞こゆる程に、蒙古の軍といふこと起こりて御賀とどまりぬ。人々口惜しく本意なしと思すこと限りなし。何事もうちさましたるやうにて、御修法や何やと公家・武家ただこの騒ぎなり。されども程なくしづまりていとめでたし。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/9310

という程度の分量を割いていたのに、実際の襲来時の記事は更に短くなっています。
『増鏡』の超然たる態度は清々しいほどですね。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板