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Japanese Medieval History and Literature

7366鈴木小太郎:2022/02/11(金) 12:32:33
2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その10)
共通テストでは、前斎宮に関連する場面の中でも、入試問題用に特別に限られた区分で『増鏡』(【文章?】)と『とはずがたり』(【文章?】)を比較していました。

2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その2)(その3)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/11139
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/11141

しかし、もう少し範囲を広げて『とはずがたり』と『増鏡』を読み比べてみると、『増鏡』が『とはずがたり』を一資料として活用しただけとは考えにくい記述があります。
『とはずがたり』では二条と東二条院の対立という大きな流れの中で前斎宮の場面を位置づけていましたが、『増鏡』も巻九「草枕」全体の中での前斎宮の場面の位置づけを見て行きたいと思います。
ところで、『増鏡』は戦前はなかなか人気のある作品でしたが、戦後は『増鏡』の注釈書は僅少、全部を通しての現代語訳も講談社学術文庫の井上宗雄氏によるものくらいで、『とはずがたり』研究の隆盛に比べると寂しい限りです。
それでも私は、既に消滅してしまった旧サイトで、2005年くらいまでの『増鏡』の研究状況を網羅的に概観できるようにしており、それらは現在では「インターネットアーカイブ」で読むことができますので、『増鏡』の基礎知識と(少し前までの)研究状況はそちらで確認していただければと思います。

『後深草院二条 中世の最も知的で魅力的な悪女について』
http://web.archive.org/web/20150830085744/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/
『増鏡』−従来の学説とその批判−
http://web.archive.org/web/20150831083929/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/jurai2.htm

さて、巻九「草枕」は、井上宗雄氏の『増鏡(中)全訳注』(講談社学術文庫、1983)に従って全体の構成を見ると、

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後宇多天皇践祚
亀山院御幸始、後嵯峨院三回忌
後深草院出家の内意
最明寺時頼のこと
煕仁親王立太子
前斎宮と後深草院(一)
前斎宮と後深草院(二)
前斎宮と後深草院(三)
前斎宮と西園寺実兼
亀山院の若宮誕生

http://web.archive.org/web/20150831071841/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu-index.htm

となっています。
扱っている時代は文永十一年(1274)から建治二年(1276)までですね。
私は四年前に私訳を試みているので、詳しくはそちらを参照してもらうとして、まずは冒頭から原文を眺めることにします。

-------
 文永十一年正月廿六日春宮に位ゆずり申させ給ふ。廿五日夜まづ内侍所・剣璽ひき具して押小路殿へ行幸なりて、又の日ことさらに二条内裏へ渡されけり。九条の摂政<忠家>殿参り給ひて、蔵人召して禁色〔きんじき〕仰せらる。
 上は八つにならせ給へば、いとちひさくうつくしげにて、びづらゆひて御引直衣〔ひきなほし〕・打御衣〔うちおんぞ〕・はり袴奉れる御気色〔けしき〕、おとなおとなしうめでたくおはするを、花山院の内大臣扶持し申さるるを、故皇后の御せうと公守の君などは、あはれに見給ひつつ、故大臣・宮などのおはせましかばと思し出づ。殿上に人々多く参り集まり給ひて、御膳参る。そののち上達部の拝あり。女房は朝餉より末まで、内大臣公親の女をはじめにて、三十余人並みゐたり。いづれとなくとりどりにきよげなり。廿八日よりぞ内侍所の御拝はじめられける。
 かくて新院、二月七日御幸はじめせさせ給ふ。大宮院のおはします中御門京極実俊の中将の家へなる。御直衣、唐庇の御車、上達部・殿上人残りなく、上の衣にて仕うまつる。同じ十日やがて菊の網代庇の御車奉り始む。この度は、御烏帽子・直衣同じ、院へ参り給ふ。同廿日布衣〔ほうい〕の御幸はじめ、北白河殿へいらせ給ふ。八葉の御車、萌黄の御狩衣、山吹の二つ御衣、紅の御単、薄色の織物の御指貫奉り給ふ。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9409

文永九年(1272)の後嵯峨院崩御後、皇統を後深草院側が継ぐか亀山天皇側が継ぐかで争いがありましたが、二年後、亀山皇子の世仁親王(後宇多天皇)が八歳で践祚し、亀山側の勝利が確定したような状況となります。
巻九「草枕」の後半はエロ小説的な趣がありますが、前半は複雑な政治情勢を要領良く説明しており、文章の格調も高いですね。




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