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Japanese Medieval History and Literature
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星倭文子氏「鎌倉時代の婚姻と離婚」(その3)
前回投稿で引用した部分の続きです。(p264以下)
先行研究を踏まえた星氏自身の課題設定ですね。
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鎌倉期の婚姻形態や婚姻決定権などについては、実態に即した実証的研究が少ないのが実情であるので、小稿では、藤原定家の『明月記』を素材として、中級貴族である藤原定家の見た婚姻について検証してみる。『明月記』は治承四年(一一八〇)から嘉禎元年(一二三五)、定家十九歳から七十四歳までの日記であり、そこには女性たちについての様々な記述がある。特に嘉禄年間(一二二五〜二六)には、婚姻や男女間のことをめぐって興味深い記述が多い。ゆえに、短い期間ではあるが、小稿では先行研究を踏まえながら嘉禄年間の記述を主に、婚姻の決定権について武家と公家の違いや、婚姻・再婚の実態から見えてくるものを、そして離婚における女性の意思についても検証することとしたい。当時の離婚は家の形成にとって重要な役割を果たしていた。したがって、家族史研究にもささやかな寄与ができうるものと考えている。なお、『明月記』に関しては年月日のみをしるすこととする。
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嘉禄年間に着目された理由を星氏は明確に述べておられますが、この時期が承久の乱後の、まだまだ政治的・経済的、そして精神的混乱が続いている時期であることは留意すべきでしょうね。
承久の乱の戦後処理については多くの研究者が「前代未聞」「未曾有」「驚天動地」といった最大級の修飾語を工夫していますが、とにかく全ての価値の基準である天皇が廃位され、「治天の君」を含む三上皇が流罪となったのですから、従来の倫理秩序も動揺しないはずがありません。
朝廷は直属の軍事組織を失ってしまい、そうかといって幕府が責任をもって京都の治安維持を約束してくれた訳でもないので、強盗の横行など、社会秩序も乱れに乱れます。
こうした中で、結婚や夫婦間の関係についても当然に価値観の変動があったはずですね。
従って、『明月記』の嘉禄期の事例をどこまで一般化してよいのかという疑問はつきまといますが、全体的に記録が乏しい中で、やはり『明月記』の存在は貴重です。
さて、(その1)では「時房朝臣の子次郎入道の旧妾」であり、藤原公棟と再婚したものの、大酒飲みのために一か月で離縁となった「新妻」の例を紹介しましたが、優れた政治家とされている時房の周辺は、家族や夫婦の関係ではけっこうな騒動が多いですね。
まず「次郎入道」時村は承久二年(1220)正月十四日、弟の資時とともに突如として出家してしまいます。
兄弟二人一緒に出家というのは何とも異様な感じがしますが、これは『吾妻鏡』にも、
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相州息次郎時村。三郎資時等俄以出家。時村行念。資時眞照云云。楚忽之儀。人怪之。
http://adumakagami.web.fc2.com/aduma24b-01.htm
と記されていますね。
その後、時村(行念)は親鸞との関係があったようですが、出典は宗教関係の史料なので、どこまで信頼できるのか若干の問題がありそうです。
ただ、出家しても女性関係は変わらないという点では、いかにも浄土真宗っぽい感じはしますね。
北条時村(時房流)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%99%82%E6%9D%91_(%E6%99%82%E6%88%BF%E6%B5%81)
そして星論文では、「2 婚姻の成立と家長の力」に入ると再び時房の四男・朝直の事例が出てきます。
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1 武家の場合
『明月記』の嘉禄年間に記された婚姻の記述には、武家と公家では家長の関わり方に違いが見える。辻垣晃一氏は、平安時代末期から鎌倉時代初期の婚姻形態について、重要なのはどこで婚姻儀式を行ったかではなく、婚姻の開始はどういう形式であり、誰が婚姻儀式を差配したかという点である、と指摘している。
ここでは婚姻の決定過程に武家と公家の違いがあるのか、またある場合は何が違うのかを検証していきたい。第一に取り上げるのは、定家が関東の婿取りのこととして注目している、北条泰時の婿取りである。
(1)嘉禄二年(一二二六)二月二十二日条
関東執婿の事と云々、武州の女、相州嫡男<四郎>・朝直に嫁す。愛妻<光宗女>があるにより、
頗る固辞すと。父母懇切に之を勧めるによると云々。
(2)嘉禄二年三月九日条
武州婚姻のこと、四郎<相州嫡男>猶固辞する。事已に嗷々と云々。相州子息惣じて其の器に
非ず歟。出家の支度を成すと云々。本妻の離別を悲しむに依るなり。公賢朝臣の如きか。
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この後の説明がちょっと長いので、いったんここで切ります。
時村・資時の出家により朝直が嫡男とされていたようですが、その朝時まで出家してしまったら時房の権威は丸つぶれ、目も当てられない事態ですね。
>筆綾丸さん
本郷和人氏も重視する比企能員のカモネギ的行動ですが、『吾妻鏡』の記述をどこまで信頼できるかという問題がありますね。
ま、疑い出したら本当にキリがありませんが。
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