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Japanese Medieval History and Literature

7278鈴木小太郎:2021/12/30(木) 13:45:30
斎藤幸平氏とコロナ禍(その6)
>筆綾丸さん
>欧米と宗教的背景が違うため、日本では治験が進まない

前回投稿で引用した部分の続きに、

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 もっとも、石井氏と第一三共の関係はプロジェクトが凍結されてもつながっていた。石井氏が二〇一九年に東大医科学研に移り、ラボを立ち上げて研究者を集め、実験ができるようになったところで新型コロナのパンデミックが起きる。逃した魚がふたたび近づいてきた。石井氏と第一三共はコロナのmRNAワクチンの開発に照準を定めた。そして、第一三共は今年三月下旬、ついに健康な成人一五二人を対象に治験を開始。二〇二二年中の供給をめざしている。石井氏は「動物実験では完璧です。ファイザーや、モデルナのワクチンに引けをとらないものができたと思います。ただ、臨床試験をしなくては本当のところはわからない。一年遅れで彼らと同じスタート地点に立てました」と感慨深げに語った。
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とありますので(p35)、現時点でどのような状況なのかは知りませんが、日本でも治験が著しく遅れるということはなさそうですね。
日本でワクチン開発が遅れた理由については山際淳一郎氏も分析していて、第一は反ワクチン運動、第二は安全保障の観点の欠如ですね。(p35以下)

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ワクチン開発を拒む国の消極姿勢

 ひと口に日本は周回遅れといっても、その裏には技術の種子が撒かながら収穫にいたらなかったケースが無数に隠れている。国としての戦略が問い直されるのはいうまでもない。それにしても、かつてはワクチン開発国だった日本が、どうして海外のメーカーに依存するようになってしまったのか。ワクチンと時代の移り変わりから説き起こしてみよう。
 戦後、日本は伝染病(感染症)の撲滅を掲げて復興に踏み出した。長く死因の第一位だった結核は特効薬ストレプトマイシンの導入で抑えられたが、発疹チフスや天然痘、ジフテリア、赤痢の流行が断続的に続く。一九四八年に「予防接種法」が制定され、「罰則付きの接種」が義務化された。政府は社会防衛を最優先し、ワクチン開発に拍車をかける。感染症による死亡者が大幅に減っていく傍ら、予防接種による健康被害が続出した。一九七〇年には小樽保健所での集団種痘接種でゼロ歳児が脊髄炎を発症する。一九七三年、種痘やインフルエンザ、ジフテリア、百日咳、ポリオ(小児麻痺)などのワクチンで脳性麻痺やてんかん、知的障害といった重い後遺障害を抱えた患者と家族六二組が「東京予防接種禍訴訟」を起こす。提訴の波動は大阪、名古屋、九州と全国へ広がった。
 ワクチン接種には副反応がつきものだ。たとえ一〇〇万人に一人の健康被害でも、当事者にとっては確率論では済まない厳しい現実そのものである。一九七六年、国は予防接種を「罰則なしの義務」とし、「健康被害救済制度」を創設する。一九八九年、MMR(おたふく風邪・ハシカ・風疹の三種混合)ワクチンの接種で無菌性髄膜炎が多発して集団訴訟が提起された。ワクチンに使われたウイルスが十分に弱毒化されていなかったための発症で、予防接種への不信感が募った。予防接種禍訴訟の原告勝訴が確定すると、国は方針を大転換した。一九九四年、予防接種を「義務」ではなく、「努力義務」に改め、「集団」から「個別」へと接種形態を変える。個人の選択に委ねる方向に舵を切った。
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いったん、ここで切ります。
「東京予防接種禍訴訟」の経緯については、自由人権協会サイト内の下記記事が簡潔にまとめていますね。

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この訴訟は、予防接種被害について、接種医師の責任を直接に問うことをせず、予防接種を強制し、その違反に対して刑罰を科すことまでしている国のみを被告として、その責任を正面から追及するはじめての訴訟でした 。裁判は、医学上、法律上の困難な課題に取り組みつつ、第1審の判決まで11年、控訴審の判決まで19年、控訴審判決で請求が認められなかった1家族についての最高裁判決、その後の差戻控訴審での和解まで26年の長い年月の経過を要しました。しかし、判決の内容は、いずれも被害者の司法に対する期待を受けとめ、被害の法的救済を実現させる画期的なものであり、法にもとづく被害者の救済と予防接種制度の改革を実現させる大きなインパクトをもたらしたのです。
1994年には、予防接種法が改正され、予防接種は「予防接種を受けるよう努める」義務となりました。

http://jclu.org/issues/vaccination/

また、弁護団により上下二巻の大著が出ています。

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1973年に提訴された予防接種被害東京訴訟(被害者62家族)の26年間にわたる裁判記録。予防接種被害の救済を求め、被害者とその弁護士が権利の実現のためにいかに戦い、裁判所がその使命をどのように果たしたか。第1編訴訟の概要・経過では弁護団の雑談会がリアルに物語っている。第2編以降では訴状、答弁書、準備書面等、さらに意見陳述、証言、尋問調書等、原告の「生の声」をも収録した貴重なドキュメンタリー。全2巻、総1820頁に訴訟の全てを凝縮。

https://www.shinzansha.co.jp/book/b188833.html

その編者は著名な弁護士ですね。

中平健吉(元裁判官・弁護士、1925-2015)
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics150319.pdf
大野正男(弁護士・最高裁判所判事、1927-2006)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%AD%A3%E7%94%B7

こうした裁判の内容が世間に正確に理解されたかは相当問題で、反ワクチンそのものが社会正義として語られるような風潮も強くなった訳ですね。
そして、その風潮が製薬業界にどのような影響を与えたのか。




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