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Japanese Medieval History and Literature

7265鈴木小太郎:2021/12/23(木) 11:27:17
斎藤幸平氏とコロナ禍
『人新世の「資本論」』関係の投稿、気づいたらこれで十二個目ですが、さすがにそろそろ終わりにしたいと思います。
私自身は斎藤氏の資本主義に対する憎悪を共有することはできませんが、その一番の理由は、斎藤氏の科学技術に関する認識を信頼できないからですね。
例えば斎藤氏は「第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う」において、コロナ禍も資本主義が悪いのだ、という主張をされています。(p278以下)

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▼コロナ禍も「人新世」の産物
 本書は資本主義から離れ、脱成長コミュニズムに移行する必要性を擁護してきた。そして、ここから先は、脱成長コミュニズムをどう実現させるのか、脱成長コミュニズムがどのように気候危機を解決するのかを説明していきたい。
 ただ、その前に、「人新世」の危機の先行事例としてひとつ見ておきたいものがある。新型コロナウイルスのパンデミックだ。「一〇〇に一度」のパンデミックによって、多くの人命が失われたし、経済的・社会的な打撃も歴史に残る規模だった。しかし、そうであっても、気候変動がもたらす世界規模の被害は、コロナ禍とは比較にならないほど甚だしいものになる可能性がある。コロナ禍は一過性で、ささやかなものだったと、気候変動に苦しむ後世の人々は振り返ることになるかもしれない。
 そのように被害規模が違うといっても、コロナ禍を危機の先行事例として見ておく価値はある。気候変動もコロナ禍も、「人新世」の矛盾の顕在化という意味で、共通しているからだ。どちらも、資本主義の産物なのである。
 資本主義が気候変動を引き起こしているのは、これまで見てきたとおりだ。経済成長を優先した地球規模での開発と破壊が、その原因なのである。
 感染症のパンデミックも構図は似ている。先進国において増え続ける需要に応えるために、資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスとの接触機会が増えるだけではない。自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間、とりわけ現代のモノカルチャーの占める空間は、ウイルスを抑え込むことができない。そして、ウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、瞬間的に世界中に広がっていく。
 しかも、パンデミックの危険性は専門家たちによって以前から警告されていた。気候変動の危機の到来を科学者たちが悲痛な声で警鐘を鳴らしているように。
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今回のコロナウイルスの発生源がアマゾンあたりならば、このような説明も一応可能かもしれませんが、さて、どうなのか。
ま、その点は置くとして、斎藤氏は「▼国家が犠牲にする民主主義」の小見出しでアメリカのトランプやブラジルのボルソナロ大統領の悪口を言った後、「▼商品化によって進む国家への依存」を深く憂慮した上で、「▼国家が機能不全に陥るとき」において、

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 また、SARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにもかかわらず、先進国の巨大製薬会社の多くが精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも、事態を深刻化させた。
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と書かれています。(p284)
ここに付された注2には、

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マイク・デイヴィス「疫病の年に」マニュエル・ヤン訳、「世界」二〇二〇年五月号、三八頁。
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とあり、私はこの記事は未読ですが、「精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化」というのは、おそらくファイザー社への批判かと思います。
しかし、ファイザー社は「抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していた」のか。
また、斎藤氏は、続く「▼「価値」と「使用価値」の優先順位」において、

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 コロナ禍の場合、商品の「使用価値」とは、薬が病気を治す力のことで、「価値」とは、商品としての薬につく値段である。ワクチンとEDの薬であれば、役に立つのは、命を救うワクチンである。だが、資本主義においては、人の命を救うかどうかよりも、儲かるかどうかが優先される。高価でもどんどん売れる薬が重要だというわけだ。
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とされるので(p285)、斎藤氏にとってEDは「使用価値」が皆無の、資本主義の悪を象徴する商品のようですね。
そして、「▼「コミュニズムか、野蛮か」」において、斎藤氏は、

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 なぜコミュニズムなのか。極右の自警団やネオナチのような過激派、マフィアが支配する野蛮状態を避けようとするなら、コミュニティの自治と相互扶助が必要となるからである。生活に必要なものを、自分たちで確保し、配分する民主的方法を生み出さなくてはならない。だからこそ、来るべき危機に備えて、平時の段階から自治と相互扶助の能力を育てておく必要がある。実際、政府に頼ろうとしても助けてくれないということを、日本人はコロナ禍で学んだはずだ。
【中略】
 中途半端な解決策は、長期的にはもはや機能しない。実際、右派ポピュリズムの台頭に既存の自由民主主義勢力は対抗できていない。だから、普通のリベラル左派の議論には退場してもらおう。
 そして、こう言わねばならない。「コミュニズムか、野蛮か」、選択肢は二つで単純だ!
 もちろん、ここで選ぶべきは「コミュニズム」である。だからこそ、国家や専門家に依存したくなる気持ちをぐっと抑え、自治管理や相互扶助の道を模索すべきなのである。
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と主張されます。(p286以下)
まあ、ここまで「国家や専門家」の悪口を言われるのであれば、斎藤氏はおそらくファイザー社やモデルナ社のワクチンは接種されていないのだろうなと思います。
EDのような資本主義の権化ともいうべき商品を販売していたファイザー社はもちろん、モデルナ社だって資本主義の泥沼に咲いた悪の花でしょうから、まさか斎藤氏がそんな極悪非道の企業が開発したワクチンを接種するようなことはないに決まっています。
「政府に頼ろうとしても助けてくれないということを」「コロナ禍で学んだ」斎藤氏も命は惜しいでしょうから、「国家や専門家に依存したくなる気持ちをぐっと抑え」、資本主義下の企業に期待することなく、「コミュニティの自治と相互扶助」、「生活に必要なものを、自分たちで確保し、配分する民主的方法」が新コロナに有効な新薬を開発してくれる日を待っておられるのでしょうね。
果たしてその日まで、ワクチンを接種しない斎藤氏の命は持つのか。
「コミュニズムか、野蛮か」、選択肢は二つで単純ですね。

>筆綾丸さん
『激動 日本左翼史??学生運動と過激派 1960-1972』は未読なので、レスはのちほど。

>キラーカーンさん
大阪市立大学にはゾンバルトの蔵書もあったりして、「左翼の牙城」と決めつけるのもまずいかもしれないですね。

「ゾンバルトが蔵書を売却した理由」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9616




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