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Japanese Medieval History and Literature
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斎藤幸平氏は「環境スターリン」?(その3)
>筆綾丸さん
『人新世の「資本論」』の「終わりに─歴史を終わらせないために」には、
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マルクスで脱成長なんて正気か─。そういう批判の矢が四方八方から飛んでくることを覚悟のうえで、本書の執筆は始まった。
左派の常識からすれば、マルクスは脱成長など唱えていないことになっている。右派は、ソ連の失敗を懲りずに繰り返すのか、と嘲笑するだろう。さらに、「脱成長」という言葉への反感も、リベラルのあいだで非常に根強い。
それでも、この本を書かずにはいられなかった。最新のマルクス研究の成果を踏まえて、気候変動と資本主義の関係を分析していくなかで、晩年のマルクスの到達点が脱成長コミュニズムであり、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道だと確信したからだ。
本書を最後まで読んでくださった方なら、人類が環境危機を乗り切り、「持続可能で公正な社会」を実現するための唯一の選択肢が、「脱成長コミュニズム」だとうことに、納得してもらえたのではないか。
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とありますが(p359以下)、「本書を最後まで読ん」だ私は、「持続可能で公正な社会」を実現するためには「脱成長コミュニズム」だけは選択してはいけないな、と思いました。
斎藤氏は「ソ連は論外だ」(p129)などと自身の立場が旧来の共産主義とは違うのだと強調されますが、まあ、「脱成長コミュニズム」を現実化しようとすれば反対する人々を強権的に弾圧せざるをえず、結局のところ「ソ連の失敗を懲りずに繰り返す」ことになりそうですね。
エコ・マルクス主義みたいなのもずいぶん昔に流行っていて、それらとの違いも斎藤氏が強調するほど大きいものとは思えませんでした。
結局、私にとって『人新世の「資本論」』はさほど知的興味を惹く作品ではありませんでしたが、ただ、この種の本が40万部も売れるという現象には一応の検討が必要でしょうね。
この点、斎藤氏自身の分析はけっこう正確なのだろうなと思います。
『朝日新聞GLOBE』の2021年8月2日付記事によれば、
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斎藤さんは「コロナ禍で空気が変わった」とみる。経済が打撃を受けると、女性を中心とした多くの非正規労働者が真っ先に仕事を失った。一方、富裕層は株高の中で富を膨らませ、格差はさらに広がった。「今まであった社会的、経済的不平等が可視化され、過剰な生産と消費に基づいた資本主義社会がどれほど破壊的なものかを明らかにした」。斎藤さんのもとには「日頃感じていた疑問をえぐり出してくれた」といった感想が寄せられた。
もう一つの原動力は「ソ連を知らない」若者たちだ。「物心ついてから資本主義が自分の生活に恩恵をもたらしてくれたという経験が希薄で、社会主義的なものが悪いものだという体感もあまりない」世代と斎藤はいう。新自由主義の格差の問題をより自分事として実感する世代の少なからぬ人たちがマルクスの考えに共感している。
https://globe.asahi.com/article/14407032
とのことですが、特に後者は、まあ、そうだろうなと思います。
1987年生まれの斎藤氏も「ソ連を知らない」若者で、
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斎藤さん自身、旧ソ連の記憶はなく、むしろ人生で大きなインパクトがあったのは、リーマン・ショックであり気候変動問題であり、東日本大震災による原発事故だった。東京出身。私立の中高一貫校を卒業後、米国の大学に進学した。その学生時代、ハリケーン「カトリーナ」で甚大な被害を受けたニューオーリンズで炊き出しのボランティアに参加した。目にしたのは、スーパーの賞味期限切れの食料などを求めて集まる困窮した人々。いつも大学で接する裕福な白人の学生たちとのギャップに衝撃を受けた。「なぜこれほど豊かな社会なのに、これほど貧困が蔓延(まんえん)し、医療も受けられず日々の生活にも困るような人たちが大勢いるのか」。そんな資本主義に対する疑念がマルクス研究へと向かわせた。
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のだそうですが、アメリカに留学してマルクスにかぶれる、というのは本当に最近の現象ですね。
第一次世界大戦後の混乱で通貨が暴落したドイツに多くの留学生が集まり、その多くが共産主義にかぶれてしまった百年前と比較するのは古すぎるとしても、資本主義の権化であったアメリカの大学の多くは、ずいぶん極端な形で左傾化してしまったようです。
それにしても、「ブランド化」を蛇蝎のように嫌う斎藤氏が「私立の中高一貫校を卒業後、米国の大学に進学」というのは些か奇妙な感じがしますね。
現代社会において「希少性を人工的に生み出す方法」の最たるものは教育です。
ウィキペディアによれば斎藤氏が留学したのはウェズリアン大学だそうですが、知名度ではハーバード大学あたりに劣るとはいえ、通好みの超一流大学ですね。
「私立の中高一貫校」の同級生が行ったであろう東大や早稲田・慶應あたりが「スズキの軽自動車」だとしたら、ハーバードがベンツで、ウェズリアンは更にその上の「フェラーリ」でしょうか。
斎藤氏の学者としての実質的な「使用価値」(有用性)は『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の翻訳者である、
酒井隆史(1965年生。大阪府立大学教授。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了)
芳賀達彦(1987年生。大阪府立大学大学院博士後期課程)
森田和樹(1994年生。同志社大学大学院博士後期課程)
の諸氏あたりとさほど違いはないのかもしれませんが、ウェズリアン大学政治学部卒業、ベルリン自由大学哲学科修士課程修了、フンボルト大学哲学科博士課程修了という斎藤氏の学歴は「相対的希少性」の点では燦然と輝きますね。
斎藤幸平(1987生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%B9%B3
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